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お証し
お証し(TH姉)
「神様の驚くばかりの恵み」
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119篇105節)
あるとき、祈祷会で聖書を学んだ後、お祈りをするときに、牧師が「なにかお祈りすることがありますか?」と尋ねて下さいました。それで、今まで誰にも言ってなかった第二K病院に入院している妹の事を伝えました。すると、「皆さんに伝えて祈っていただきましょう」と言って下さり、ほっとしました。
その頃、妹は出血が多く婦人科なのでK大学病院で検査をしてもらった結果、子宮ガンと分かり、入院することになりました。牧師が病院に来て下さり、妹の為にお祈りと神様のお話をして下さいました。その帰り道、私は先生に妹が理解できたでしょうか?と尋ねると、先生は「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」(コリント人への手紙第一・12章3節)とみことばをもって言って下さいました。
2010年10月中頃、手術をして頂いた後、神様の恵みによって無事退院することができました。感謝です。その後また、第二北山病院に牧師が訪問して下さり、「M子さんも神様に愛されていると、神様の子どもであるイエス・キリストの十字架の血潮によって贖われ、罪赦された」、とお話して下さいました。
「信じます。」と、妹は2010年12月19日クリスマスに神様のご愛によって受洗の恵みにあずかることができました。ありがとうございます。
愛する牧師ご夫妻の祈りと、教会の愛する兄弟姉妹のお祈りに心から感謝申しあげます。
現在、妹は子宮ガンの再発と糖尿病の戦いの中にいますが、牧師が毎月、第二K病院へ訪問して下さり、礼拝を捧げて下さり、妹もいつも喜んで待っています。
日々、神様のご愛に守られ、健やかにあゆませていただいています。ハレルヤ!
お証し(AU姉)
私が信仰を持ったのは39才の時でした。その前の年に私は乳ガンになり、3か月入院しました。手術の後は大変元気でしたが、放射線をたくさんかけたので、退院した時はふらふらでした。末っ子は、まだ小学一年生でしたから、私はどんな事があっても、この子のために生きねばならないと思いました。私の命を左右できる人は、お医者様でも夫でもなく、神様しかいないと思い教会に通うようになりました。高校がミッションスクールでしたから、教会に通うのは抵抗がなく、一年近くして洗礼を受けました。姉が熱心なクリスチャンで、その後押しもありました。しかし一番仲良くしている友人は「初めに神頼みがあったんだね」と言いました。私は痛い所をつくなと思い、それが心のどこかでひっかかっていました。けれども、ヨハネ15章16節に「あなたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」とあり、信仰を持った動機の不純さが気になっていましたが、解消されました。
又、私は主人の実の母とは、本当の母娘のように仲良くしていましたが、主人の養母を愛する事ができませんでした。私は虚弱でしたが、母は鉄の体と言われた人でした。母は資格のある人が好きで、事あるごとに、いろんな人の例を出して、その人達のことをほめました。私はとてもうとましく思いました。5年間、亡くなるまで、同居し、一度もけんかしたこともなく、きつい言い方もしたことはありませんでしたが、愛することはできませんでした。
又、私は自分は罪深い人間であるにもかかわらず、他の人の罪を赦すことができませんでした。「あんなので、いいのかしら」とか「ずるいなあ」とか気になりました。
そんな折、大頭先生が来られて初めての元旦礼拝でマタイ18章の24節からの個所を取り扱われました。又、次の礼拝で20章の1節から14節までを取り扱われました。最初の個所は、主人に大きな借金をしたしもべが、優しい主人に借金を免除してもらったにもかかわらず、自分はしもべ仲間に貸したお金を返せないからと言って仲間を牢にぶちこんでしまいます。それを聞いた主人がしもべを獄吏に引きわたすという例え話です。
20章の方はぶどう園で朝早くから働いた労務者と夕方一時間位しか働かなかった人に主人が同じだけの日当をあげたという話です。
この2個所を読んで、厚かましいしもべと、少ししか働かないでちゃっかり一日の日当をもらった労務者はまさに私の事だと気づかされました。自分はたくさんの罪をかかえているにもかかわらず、人の罪が赦せないのです。又、働きが悪いにもかかわらず、神様は他の人と同様にたくさんの恵みを下さっています。この2つの個所で私は自分の罪と神様の愛をはっきり気づかされました。こんな罪深い私のためにイエス様が十字架にかかって下さったのだと大きな感動を覚えました。
又、私は一昨年、食道ガンを宣告されました。内視鏡での手術でしたが、5時間に及ぶ手術でした。ごく初期という程でもなく、放射線が必要な段階でしたが、先の手術の時にたくさんかけているので、今回はかけられませんでした。抗ガン剤は事前にかけるのと何かあってからかけるのとどちらがよいか立証されていないということでしたから、しない方を選択しました。主治医は自分が同じ立場でもそうすると言ってくれました。
昨年の7月の検査でリンパがはれていると言われました。10月にリンパの検査をすることになり、信仰のうすっぺらな私は不安でいっぱいでした。人間は遅かれ早かれいつかは死ぬものですし、クリスチャンの国籍は天にあり、又、何よりも、私たちには永遠の命が約束されているのだと頭では分かっているのですが、心は波立ちました。詩篇91篇15、16節の「彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」この個所を読むと心が落ちつきましたが、10月の検査の結果が悪かったらと思うと気が気ではありませんでした。何が一番気になっているのか考えてみると、やはり私がもし死んだら、後に残された家族のことでした。私は常々母親の役目というのは娘が結婚する時、又出産の時、又その後少なくとも2年間はそばに寄りそってやることだと考えています。それまではどんなことがあっても生きていてやりたいのです。
10月1日の検査はエコー検査でしたが、その部位、部位で何枚も写真を取っていかれます。絶対に異常があったのだと思いました。16日に結果が分かるまでは身の細る思いでした。だれにも頼れませんでした。神様だけが共にいて下さることに感謝しました。結果は思いの他、転移とかはなく、神様はいつも脱出の道を備えて下さることに深く感謝しました。けれども、もし悪い結果であっても、神様は必ず娘たちの事を守って下さると思いますし、そうなった時は、すべて神様におゆだねし最後の日まで主をあおいで歩むしかないと考えています。
又、昨年12月23日に三女が結婚し、感謝でいっぱいですが、その伴侶が、今の勤務先の前はミッションスクールに勤務していたことを知り、神様のおどろくべき引き合わせに感激しています。先日の元旦礼拝に出席し、主の祈りや頌栄が久しぶりだったと言ってくれました。家族伝道が遅々として進まない中にあって、神様はいつの日かきっと二人を救いの道に預らせて下さるであろうと期待に胸をふくらませています。そのためにも日々祈っていかねばと思っています。