【次週の礼拝 2月12日】
聖書 コリントの信徒への手紙2
12章19〜21節
説教 「あなたがたを
造り上げるために」
加藤幹夫牧師
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定 期 集 会
<聖 日 礼 拝>
日曜日
午前10時15分〜午前11時30分
<聖書の学び・祈り会>
朝の部 水曜日 10:15
<教会学校>
(子供の礼拝と分級)
日曜日 午前 9時00分
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<阿漕教会 礼拝堂>
阿漕教会は、カンバーランド長老教会のA・Dヘール宣教師が、1909年(明治42)津市弓之町に大きな家を借りて「弓之町講義所」(津市本町)を開いたことに始まります。その後、最愛の息子J.E.ヘールを浅間山で亡くし、その記念として、1912年(大正元年)、阿漕の地に宣教師館を建て、教会堂もこの時に建てられました。それ以来、この教会堂は、第2次世界大戦の戦火を免れて約100年の時を刻んできました。
*礼拝をささげたいと思う方はどなたでもご自由にお越しください。 教会に初めて行こうと思っている方へ
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「愚か者となったパウロ」2コリント12:11-13
パウロは、教会の中でまちがったキリスト教を説く偽使徒たちがいることを警告しました。彼らは信仰の知識を誇り、「キリストを信じ知ることによって賢い者となっている」と自分を誇っていました。パウロは、あえて彼らに対して、「自分はキリストのために愚か者となっている」と語ったのです。
キリスト者はキリストを誇る者です。しかし、信仰生活を続けていると、キリストではなく自分を誇るような誘惑に引きずり込まれます。自分の知識、経験、功績、愛の行為を誇るのです。しかし、信仰とは、自分の弱さや愚かさを知ることから始まります。だれでも自分の愚かさを知ることから始まります。だれでも自分の愚かさを認めたくはないと思いますが、自分自身をよく見つめると、それが見えてきます。そのただ中で、十字架のキリストを仰ぎ、「この愚かなわたしのためにキリストの十字架がある」とキリストを誇れるのです。
ここで注意したいポイントは、ただ「愚かさや弱さを認める」のではありません。「ありのままの自分でいい」と自分で自分を肯定するものではありません。そうなると、他者に対して無責任な人間になってしまうでしょう。そうでなく、ありのままの自分を認めつつ、キリストを仰ぐのです。そして、キリストによって自分が肯定されて生きるのです。
伝道者は、自分の経験や知識をひけらかすようにして自分を輝かすのではなく、キリストを輝かすためい説教をします。時に説教は、自分の愚かさや弱さを現すことにもなりますが、かえってキリストの栄光を現す福音となります。パウロは、自分の愚かさをよくわかっていました。だからこそ、キリストの恵みを語ることができたのです。
教会メール akogichurch@hotmail.com
〒514-0805 三重県津市下弁財町津興1267 TEL 059-228-0407 FAX 059-202-0160
牧師:加藤 幹夫
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