【次週の礼拝 1月31日)】
聖書 コリントの信徒への手紙1
12章14〜26節
「教会の配慮」
加藤幹夫牧師
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定 期 集 会
<聖 日 礼 拝>
日曜日
午前10時15分〜午前11時30分
<聖書の学び・祈り会>
朝の部 水曜日 10:15
<教会学校>
(子供の礼拝と分級)
日曜日 午前 9時00分
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<阿漕教会 礼拝堂>
阿漕教会は、カンバーランド長老教会のA・Dヘール宣教師が、1909年(明治42)津市弓之町に大きな家を借りて「弓之町講義所」(津市本町)を開いたことに始まります。その後、最愛の息子J.E.ヘールを浅間山で亡くし、その記念として、1912年(大正元年)、阿漕の地に宣教師館を建て、教会堂もこの時に建てられました。それ以来、この教会堂は、第2次世界大戦の戦火を免れて約100年の時を刻んできました。
*礼拝をささげたいと思う方はどなたでもご自由にお越しください。 教会に初めて行こうと思っている方へ
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「聖霊の働き」1コリント12:4-11
わたしたち一人一人には、神さまからの賜物が与えられています。その賜物を生かして生きることが、人生の喜びともいえるでしょう。ただ、コリントの教会において、その賜物を自慢し、誇り、他者との優位性を競い合い、裁き合いが起こり、これによって、特に信仰の弱い者が弾き飛ばされてしまったのです。そこで、パウロは、教会における賜物とは何かを明らかにして、信仰の核心部分を示すのです。
まず、パウロは「教会における賜物はいろいろあるが、それをお与えになるのは同じ聖霊なる神である」と語りました。つまり、賜物は自分の力から出るのではなく、聖霊の働きの1つに過ぎないという意味です。自分を誇るのではなく、聖霊なる神を誇らなければなりません。聖霊は「イエスは救い主、主である」と告白に導く存在なので、そこで、1つになるのです。また、いろいろな賜物があったとしても、主イエス・キリストを賛美し告白できなければ意味がなく、自己満足の信仰になってしまうのです。
コリント教会は、知恵や知識、自分の信仰を誇る者がいました。病のいやしの力、奇跡を起こす力、予言する力、霊を見分ける力、異言を語る力、異言を解釈する力を誇る者がいました。そのように自分を誇り、「自分はより神に近い者である」との思い込みによって、喜びを感じていたのです。
パウロは、「それらのことは、聖霊の働きでしかない」と語りました。聖霊の働きにとって、大切なのは、何かができるという賜物ではなく、「イエスは主である」という賛美と信仰告白なのです。賜物を持つ自分を誇るのではなく主を誇るのです。
教会メール akogichurch@hotmail.com
〒514-0805 三重県津市下弁財町津興1267 TEL 059-228-0407 FAX 059-202-0160
牧師:加藤 幹夫
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