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わたしたちは幼い頃から、好むと好まざるとにかかわらず、日本の風俗や習慣の中で育ってきました。昔からの習わしとして、地域のお寺の檀家に数えられ、同時に神社の氏子として組み入れられることについて、ある時期まではほとんど疑問も持たずに過ごしてきたというのが多くの人の場合ではないでしょうか。
その私たちが、やがて自分の罪と直面し、その究極の解決をキリストの十字架に見い出したとき、新たに生きる者となったのです。しかし、信教の自由が保障され、都市化が進んでかつての一方的な因習が薄れてきたとは言え、異教的な環境は依然大きな影響力を持っています。
こうした状況の中にあって、社会生活から浮き上がってしまうことなく、しかもしっかりと聖書に根ざした信仰生活を送るにはどのようにしたらよいのかをご一緒に考えていきたいと思います。
日本の文化や伝統・習慣に対するクリスチャンの姿勢は、大きく三つに分けることができるでしょう。 (1) 妥協と埋没 〜 世の中に合わせて生きる姿勢
(2) 拒否と対立 〜 違いを明らかにしようとすることで、自分の信仰を守り、証ししようとする姿勢
(3) 対決と克服 〜 聖書に照らして、非キリスト教的なものについて改革しようとする姿勢
私たちクリスチャンは、ある習慣がキリスト教と異なっていても、頭から否定するのではなく、日本に住む人のために証しするように遣わされている者として、妥協に流れることなく、しかも孤立するのでなく、避けるべき点は避け、受け入れて活用すべき点は活用する第3番目の姿勢を持つことが必要なのではないでしょうか。
今から10年前のNHKの統計調査によると、日本人宗教意識には次の5つの点が挙げられるそうです。
(1) 祖先とのつながりを重視(59%)
(2) 人間は弱い存在との意識(85%)
(3) 運命はどうしようもない(86%)
(4) 因果応報(87%)
(5) 困ったときの神頼み(60%)
これらは次の3つの傾向に要約することができるでしょう。
(1)多重信仰
日本の宗教人口は2億人との数字が出るほどで、大人が2〜3の信仰を持っているという現実を示しています。そして大部分の人々はそこに疑問や不自然さを感じていないというのです。(2)現世利益を追い求める
キリスト教でも「祝福」という現世での利益を語りますが、その根本には自己の罪との直面・悔い改め・贖いがあります。単なる現世利益のために宗教を利用する態度とは異なります。(3)縁起かつぎを好む
まじないや占いなどの呪術を通して、たたりやさわりを避けようとする傾向です。自分の弱さと運命のあらがい難いことを意識してのことでしょうが、あらゆる方法で未来を知ろうとして、その結果神を深く悲しませるのです。イザヤ8:19−22には次のように書かれています。
「人々があなたがたにむかって『さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ』という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。彼らはしえたげられ、飢えて国の中を経あるく。その飢えるとき怒りを放ち、自分たちの王、自分たちの神をのろい、かつその顔を天に向ける。また地を見ると、見よ、悩みと暗きと、苦しみの闇とがあり、彼らは暗黒に追いやられる。
どうしてこのようなことになっているのでしょう?それは日本の宗教が、民俗宗教と呼ばれる仏教伝来以前からある、古くて教義や教団を持たない、原始的な信仰によって支えられているからだといわれています。牧師で、仏教大学と神道宗教学会での学びも修めた勝本正實氏は次のように言っておられます:
「インドの原始仏教と日本の伝来仏教とでは多くの違いがあり、…私は日本の仏教を学ぶことで仏教に吸収されたように見えながら、実は仏教をも変質させる力を持つ民俗宗教を知ったのです。」(勝本正實「日本の宗教行事にどう対応するか」いのちのことば社, p.15)
仏教をも変質させるほどの根強いものを持った日本の民俗宗教とはどのようなものなのでしょうか。次にこの点を検討してみたいと思います。
勝本正實氏は前掲の「日本の宗教行事にどう対応するか」で次のように言っています。
「私たちの国では、季節の変化に合わせて、年間を通じての行事が昔から行われてきました。また、人生においても、誕生や死後までの人生儀礼、通過儀礼が多くあります。こうした多くの行事や儀礼の中心をなすのが正月と盆です。年間の行事や儀礼はこの時期に集中し、それを仏教と神道が分担しています。『神道は現世を摂理し仏教は来世を支配する』と言われています。」(p.54)
確かに日本の行事には神道が担当するものと(命名、七五三、成人式結婚式、地鎮祭、厄年…)、仏教が担当するもの(葬式、埋葬、〜回忌…)という分担が見られます。日本人は生前は神道式で生き、死後は仏式で祖霊化されるという死生観に、知らず知らずの内に教育されているのです。つまり、この世における日本人の生活は祖霊の守護の下にあり、結婚して子孫を残さなければ自分自身の祖霊化(成仏)が不可能になると考えてしまうのです。
「自分自身の祖霊化」というと、その表現に驚く方がおられるかも知れませんが、私達日本人は確かに、葬儀の時のみならず、死者を礼拝する習慣を持っています。
日本の行事と人生儀礼の特色を見てゆく中で明らかになった事は日本人は生前は神道式で生き、死後は仏式で祖霊化される死生観に知らず知らずの内に教育されているということでした。以上を踏まえた日本文化への具体的対応は次の三つの項目を検討してゆく事が必要でしょう。
(1)その起源・目的は何か?
(2)今でも異教的意味があるか?
(3)聖書判断と活用は??