あなたへのラブレター 17  
『生ける望み』 1ペテロ 1:3-5 
  
長男のはれる(6歳)は、昨日から急に、「死」について真剣に考えるようになってきました。 
そして、死への恐怖を、涙を流しながら話すようになりました。 
あまりに突然のことだったので、何が起こったのかはわかりませんが、きっと、神様が彼に与えた体験なのでしょう。 
  
たしかに、死ぬのはうれしいことではありません。 
身近な人が死んだら、もちろん悲しいことであります。 
 また、自分が死んだら、何もかもが終わってしまう気がし、愛する人が死んだら、何もかもがなくなったような気がします。 
死の力は、私たちの目に見える生活に、決定的な衝撃、打撃を与えるものです。 
  
この手紙を書いたペテロもそうでした。 
イエスさまが十字架で死ぬ前の日(当日未明)、ペテロは、イエスさまを3回も知らないと言ってしまいました。 
そして、そのことについて弁明のできないまま、イエスさまは十字架に架かって死んでしまったのです。 
イエスさまの死が、ペテロの失敗を、二度と取り返しのつかないものにしてしまいました。 
少なくとも、ペテロには、そのような気がしたでしょう。 
  
私が長老教会の協力伝道師として、洗礼に導いた89歳のみすえさんというおばあちゃんがいます。 
みすえさんは、洗礼を受ける前、私にこう言いました。 
「私は、謝らなくてはいけないことがあったのに、謝れなかった。 
もう、謝ることもできないんだ。 
ずっと、責められ続けなくてはならないんだ。」 
私は、「イエスさまが代わりに謝ってくれてるから大丈夫、イエスさまのとりなしのために祈りましょう。」とすすめ、祈りました。 
  
さて、ペテロの話に戻ります。 
イエスさまは死の力に打ち勝って、よみがえりました。 
ペテロは、そのイエスさまによって、和解がなされ、もう一度、立ち上がったのです。 
ペテロは、生ける望みを受けたのです。 
新しいいのちを受けたのです! 
  
みすえさんも、新しいいのちに生きることになりました。 
その新しいいのちは、後悔のためではなく、希望のためのいのちです。 
その長老教会は、新しい巨大な会堂を建てようと計画しています。 
資金もあまりないので、いつ完成するかもわかりませんが、設計図だけはあるのです。 
みすえさんは、「これが完成するまでは、元気でいなくちゃ!」と、意気あがっています。 
  
キリスト教は、個性を殺す宗教ではありません。 
個性を殺すのではなく、私たち一人ひとりに、生ける望みを与える神様との生活です。 
神様のために、私たちが何かをしなければならないのではありません。 
私たちのために、イエスさまがよみがえって、死の力に打ち勝つ生きる力・生ける望みをくれたのです。 
死で終わらない、勝利の人生、ハレルヤの人生が始まりました。 
  
死はたしかに怖いものです。 
でも、死の力に打ち勝つ生ける望みが、あなたの人生には与えられているのです。 
この生ける望みとともに、あなたの人生を生きましょう。 
ハレルヤと賛美しながら。 
  
あなたのためにお祈りしています。 
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