13   信頼すべき言葉(レント01 2007.02.24)
レント2007 01
『信頼すべき言葉』 第2テモテ 2:11-13
 
今年の暦では、2月21日が灰の水曜日で、イースターが4月8日です。
この期間を、レントといいます。
日本語では四旬節、受難節または大斎節と呼ばれています。
イエスさまの十字架と復活に備える期間です。
今週から、レントのメッセージをシリーズでしたいと思います。
 
テモテへの第2の手紙は、死を目前にしたパウロが、テモテへあてた手紙です。
彼は、新約聖書中に13の手紙を書きましたが、この手紙は、最後に書いた手紙です。
パウロは、彼の最後の手紙で、私たちに何を伝えようとしているのでしょう。
 
次のことばは信頼すべきことばです。(11節)
パウロは、信頼すべき言葉、信頼できる言葉を私たちに贈ってくれたのです。
さて、実生活を送っていく中で、信頼できる言葉を、あなたは持っていますか?
100%信頼していい言葉です。
もし、持っていると言い切れる人は、幸せな生涯を歩んでいる人でしょう。
 
パウロは最後の手紙で、私たちにこのことを伝えたのです。
幸せな生涯、ハレルヤの人生を歩むための言葉を贈ってくれたのです。
キリスト教の真髄ともいえる、すばらしい言葉です。
今日はここから、3つのポイントを開いていきましょう。
 
「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。(11節)
1つ目のポイントは、「十字架によって、新しい自分になれる」ということです。
先週もお話しましたが、私たちは、死んだら終わりと考えがちです。
死の力は、それほどに強く、私たちに絶望を与えるからです。
さらに、十字架の死は、呪われた死、地獄に落ちる死です。
私たちが過去を振り返ってみるとき、呪いたくなるような出来事も多かったのではないでしょうか。
私には、たくさんあります。
そう、十字架の呪われた死は、過去の私たちにこそふさわしい死なのです。
 
イエスさまとともに、古い自分(脱ぎ捨てたい自分)が十字架について死んだなら、私たちは過去の呪いから解放されるのです。
具体的には、イエスさまの十字架を、自分自身のためのものと信じることです。
そのとき、復活のイエスさまとともに、新しい自分を生きることができるのです。
 
もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。(12節)
2つ目は、「あなたは神様の愛にふさわしい」ということです。
拒否されるような表現ですが、「否まなかったら、否まれない。」ということを示しています。
誰もが、神様の愛にふさわしい人、十字架の愛にふさわしい人ということです。
誰もが、新しい自分になれるということです。
誰一人、神様は見捨てません。
絶対にです。
 
あなたは、なりたい自分になれます。
「そうだったらいいけどな」は、もう、あきらめの言葉ではありません。
イエスさまの十字架の愛によって、希望の言葉に変わったのです。
 
私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。
彼にはご自身を否むことができないからである。」(13節)
3つ目は、「神様は誠実である」ということです。
私たちと神様のこの関係は、私たちの不完全さによって壊されません。
私たちは不完全ですから、失敗し、裏切り、疑い、挫折するものです。
でも、そんなことで神様は契約を捨てません。
この契約は、神様の誠実によって守られる契約だからです。
そして、イエスさまの愛と従順によって守られる契約だからです。
私たちは自分も他人も裏切りますが、神様は偽ることができないのです。
 
イエスさまの十字架は、あなたに新しい人生を与えます。
古い自分を、脱ぎ捨てましょう。
神様の愛にふさわしいあなたには、なりたい自分が用意されているのです。
十字架によって示された愛は、あなたのものです。
そう、これは、信頼すべきの言葉、信頼していい言葉なのです。
 
信頼すべき言葉の中で、ハレルヤの人生を歩みましょう。
 



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