レント2007 01 
『信頼すべき言葉』 第2テモテ 2:11-13 
  
今年の暦では、2月21日が灰の水曜日で、イースターが4月8日です。 
この期間を、レントといいます。 
日本語では四旬節、受難節または大斎節と呼ばれています。 
イエスさまの十字架と復活に備える期間です。 
今週から、レントのメッセージをシリーズでしたいと思います。 
  
テモテへの第2の手紙は、死を目前にしたパウロが、テモテへあてた手紙です。 
彼は、新約聖書中に13の手紙を書きましたが、この手紙は、最後に書いた手紙です。 
パウロは、彼の最後の手紙で、私たちに何を伝えようとしているのでしょう。 
  
次のことばは信頼すべきことばです。(11節) 
パウロは、信頼すべき言葉、信頼できる言葉を私たちに贈ってくれたのです。 
さて、実生活を送っていく中で、信頼できる言葉を、あなたは持っていますか? 
100%信頼していい言葉です。 
もし、持っていると言い切れる人は、幸せな生涯を歩んでいる人でしょう。 
  
パウロは最後の手紙で、私たちにこのことを伝えたのです。 
幸せな生涯、ハレルヤの人生を歩むための言葉を贈ってくれたのです。 
キリスト教の真髄ともいえる、すばらしい言葉です。 
今日はここから、3つのポイントを開いていきましょう。 
  
「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。(11節) 
1つ目のポイントは、「十字架によって、新しい自分になれる」ということです。 
先週もお話しましたが、私たちは、死んだら終わりと考えがちです。 
死の力は、それほどに強く、私たちに絶望を与えるからです。 
さらに、十字架の死は、呪われた死、地獄に落ちる死です。 
私たちが過去を振り返ってみるとき、呪いたくなるような出来事も多かったのではないでしょうか。 
私には、たくさんあります。 
そう、十字架の呪われた死は、過去の私たちにこそふさわしい死なのです。 
  
イエスさまとともに、古い自分(脱ぎ捨てたい自分)が十字架について死んだなら、私たちは過去の呪いから解放されるのです。 
具体的には、イエスさまの十字架を、自分自身のためのものと信じることです。 
そのとき、復活のイエスさまとともに、新しい自分を生きることができるのです。 
  
もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。(12節) 
2つ目は、「あなたは神様の愛にふさわしい」ということです。 
拒否されるような表現ですが、「否まなかったら、否まれない。」ということを示しています。 
誰もが、神様の愛にふさわしい人、十字架の愛にふさわしい人ということです。 
誰もが、新しい自分になれるということです。 
誰一人、神様は見捨てません。 
絶対にです。 
  
あなたは、なりたい自分になれます。 
「そうだったらいいけどな」は、もう、あきらめの言葉ではありません。 
イエスさまの十字架の愛によって、希望の言葉に変わったのです。 
  
私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。 
彼にはご自身を否むことができないからである。」(13節) 
3つ目は、「神様は誠実である」ということです。 
私たちと神様のこの関係は、私たちの不完全さによって壊されません。 
私たちは不完全ですから、失敗し、裏切り、疑い、挫折するものです。 
でも、そんなことで神様は契約を捨てません。 
この契約は、神様の誠実によって守られる契約だからです。 
そして、イエスさまの愛と従順によって守られる契約だからです。 
私たちは自分も他人も裏切りますが、神様は偽ることができないのです。 
  
イエスさまの十字架は、あなたに新しい人生を与えます。 
古い自分を、脱ぎ捨てましょう。 
神様の愛にふさわしいあなたには、なりたい自分が用意されているのです。 
十字架によって示された愛は、あなたのものです。 
そう、これは、信頼すべきの言葉、信頼していい言葉なのです。 
  
信頼すべき言葉の中で、ハレルヤの人生を歩みましょう。 
  
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