レント2007 04 
『確かな愛』 ローマ 8:31-39 
  
サンパウロ・ゴスペルハウスは、ピンドラーマという情報誌に広告を出しています。 
編集長が私の友人でもあるので、応援のつもりで広告を出すことにしたのです。 
広告を出してからというもの、新しい人がゴスペルハウスを訪問してくださることが多くなり、「ピンドラーマ効果」と私たちは呼んでいます。 
ただ、ピンドラーマを見て来たという人は1人もいないのですが・・・(笑)。 
  
ところで、私の通っていた語学学校もピンドラーマに広告を出しています。 
その担当さんとお話しをしたところ、「営業担当さんの態度に問題があって、スポンサーやめようと思う」とのことでした。 
いろいろと聞かされたので、編集長にそのことを告げて、改善をお願いしました。 
  
すると次の日、営業担当さんから電話がありました。 
「何のことかな?」と思い、聞いてみると、彼は怒っているようでした。 
「あなたにそんなこと言われるなんて心外だ!」 
「いったい彼女はあなたに何を言ったんだ!」 
私は、意外な展開に、あきれてしまいました。 
  
さて、このローマ人への手紙の第8章は、実用聖書注解によると「神の愛の豊かさと確かさを歌う賛美歌」と言われています。 
確かに、愛の確信あふれるすばらしい手紙です。 
  
内容は実に単純です。 
神様は私たちの味方で、ひとり子イエスさまのいのちをかけるほど愛してくれています。 
イエスさまの十字架のゆえ、私たちは無罪なのです。 
私たちは、神様の宝物として、王子として、神様の愛の中に生きることができるのです。 
  
そして、誰も何も、どんな力も、神様の愛から、私たちを除くことはできません。 
それは、私たちの信仰が堅いからではありません。 
私たちの心は、もろくはかないものです。 
あてにならないものです。 
神様の愛が、神様の愛の力が、何よりも強いからです。 
どんな被造物より強く、いのちより死より強い愛の力なのです。 
  
私たちの強さのゆえではなく、神様の愛の強さゆえの確証なのです。 
もう、ハレルヤと言うしかありません! 
そして、これが事実であり、現実なのです。 
イエスさまの十字架にあらわされたいのちがけの愛、復活の空の墓にあらわされた死への勝利です。 
それを待ち望むレントの期間、なんとすばらしいことでしょう。 
  
しかし、私たちはクリスチャンになっていても、この愛の実感(現実)から離れてしまうことがあります。 
どんな被造物でも引き離せないはずなのに、なぜなんでしょう。 
何が、私たちを神様の愛から離しているんでしょう。 
  
答は、「気のせい」です。「勘違い」です。 
何も私たちを、神様の愛から引き離すことなどできないからです。 
自分の弱さを受け入れられないと、また、自分の弱さを受け入れてもらえないと感じると、責められている気持ちになってしまいます。 
それで、他人に対しても、自分に対しても攻撃的になってしまうのです。 
  
自分の弱さを受け入れることが大切です。 
そして、その弱さが受け入れられていることに気がつくことが大切です。 
では、私たちはどうしたらいいのでしょうか。 
答は、「神様に求めたらいい」のです。 
神様は、現実に生きています。 
私たちに一番いいタイミングで、答を与えてくれるのです。 
  
「どんなに愛しているか、わかるように教えてくれ!」 
神様に求めましょう。 
神様は、必ず答えてくれます。 
そして、わかったら、「ありがとう、ごめんなさい」で、ハッピーエンドです。 
先ほどのクレームも、一番初めにそれに気がついたら、ハッピーエンドになるのです。 
  
もちろん、あなたの人生にも、このハッピーエンドが待っています。 
神様の愛は、あなたの現実の中に生きる愛なのです。 
自分の弱さを受け入れ、受け入れられている事実を受け入れたとき、あなたにハレルヤの人生が始まるのです。 
  
  
神様は、あなたを愛しています。 
どんなことがあっても、離れない愛、見捨てない愛で愛しています。 
どんな環境も、どんな力も、この愛の前には無力です。 
あなたの弱さを、受け入れましょう。 
神様はもう、あなたの弱さを受け入れているんですから。 
もう誰も、あなたを責めません。 
あなた自身も、誰も責めなくていいんです。 
  
神様の確かな愛の中で、ハレルヤと歩んでいきましょう。 
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