レント2007 05 
『口から出たとおりに』 民数記 30:1-2 
  
今週の聖書箇所は、神様への誓願について書かれています。 
内容はとても単純です。 
「すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。」(2節) 
とてもわかりやすく、はっきりとした命令です。 
すっきりとした命令です。 
私たちと神様との間の関係、また、人間関係の基本です。 
幼稚園や小学生の子どもに聞いても、「当たり前だよ」と言いそうな内容です。 
  
しかし、大人になってみると(実は子どものときから)、これが達成できないのです。 
子育てのなかで、また、人間関係の中で、私たちは口から出たとおりのことを実行できないでいるのです。 
たとえば、「ウソついちゃダメだよ」と子どもをさとすその口で、「そんなことしたら、・・・になっちゃうからね」などと言って、子どもを脅すのです。 
私たちは、自分自身には必要以上に寛容で、他人に(特に弱者に)対して厳しいのではないでしょうか。 
または、その逆で、できない自分を責め続けてしまうのではないでしょうか。 
  
こう思うとき、私たちは、自分自身を不誠実な舌を持つ者と認めざるをえません。 
神様の命令の前には、まったくの失格者です。 
自分の弱さ・醜さに愕然とし、絶望するしかないでしょう。 
  
しかし、次の聖書の原則を忘れてはいけません。 
それは、「神様は命令しっぱなしではない。」ということです。 
神様が命令をしたら、それを成し遂げる力をも与えてくれるのです。 
いえ、力を与えてくれるそれ以上に、まず、自分が完璧にそれを成し遂げてくれる方なのです。 
ですから、「すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。」という言葉は、次のようにも解釈できるのです。 
「すべて神様の口から出たとおりのことは実行される。」 
  
では、神様の口から出たのは、どんな言葉なのでしょうか。 
旧約聖書:イザヤ書43:4にはこうあります。 
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 
だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」 
あなたの目にどう映ろうと、他の人の目にどう映ろうと、神様にとってあなたは愛すべき宝物と宣言しているのです。 
これは、決して裏切られることのない保証です。 
不誠実な舌を持つ私たちが、神様の宝物になるのです。 
これは、私たちの身代わりのイエスさまの十字架によって成立する、矛盾をこえた愛です。 
  
また、そのイエスさまは、十字架にかかる前に、弟子たちにこう言いました。(新約聖書:ヨハネ14:14) 
「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」 
私の名によってとは、イエスさまの名によってということです。 
十字架によって、私たちの罪を赦してくれた救い主の名によってということです。 
つまり、十字架によって誕生した、神様の王子として求めるなら必ず得られると、イエスさまは約束してくれたのです。 
なんと、すばらしい約束なのでしょうか。 
  
この約束の確かさを知ったとき、私たちのレントの期間は喜びにあふれたものになります。 
十字架を待つ日々に、うれしさがあふれます。 
復活のいのちの喜びが、私たちの中であふれます。 
ハレルヤと賛美して待ち望みましょう。 
「すべて神様の口から出たとおりのことは実行される」のですから。 
  
  
神様は、あなたの弱さを十分に知っています。 
命令しっぱなしで、あなたをヘトヘトにするようなことはありません。 
あなたは神様の愛する王子なのです。 
さあ、神様の王子として求めましょう。 
神様の愛の言葉が、口から出たとおりに、あなたの人生に実現するのです。 
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