21   詩篇 第62篇 (詩篇に楽しもう16 2007.04.14 第一礼拝)
詩篇に楽しもう 16
『詩篇第62篇』 詩篇第62篇
 
この詩篇は、確信の詩篇です。
私は決して、ゆるがされない。(2節)
私はゆるがされることはない。(6節)
 
しかし、信仰が深いから、意志が強いから、ゆるがされないのではありません。
支えてくれる神様が力強いから、ゆるがされないのです。
生きて働く神様の体験、この体験があるからこその確信なのです。
もしも、体験がなかったら、これはただの盲信です。
 
神様とともに生きる、生きた神様との生活が、この詩篇には歌われているのです。
作者は神様をこのように表現しました。
(2節&6節)「わが岩」「わが救い」「わがやぐら」
(5節)「私の望み」
(7節)「私の救い」「私の栄光」
(8節)「われらの避け所」
(11節)「力は、神のもの」
(12節)「恵みも、あなたのもの」
 
この生活を得るための、体験するための秘訣は、次の言葉です。
「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。」(1&5節)
 
努力することは、もちろん、悪いことではありません。
しかし、不完全な私たちの努力は、いつか限界に達します。
努力が限界に達して、その先は不可能と思えたとき、私たちはそこに失望の荒野を見るのではないでしょうか。
しかし、限界の先、不可能の壁の向こう側は、絶望と失望ではないのです。
その先、私たちからみた不可能の領域にあるのが、神様の可能の領域なのです。
絶望と思われるところに、神様からの希望があるのです。
神様を待ち望む者には、この希望が与えられるのです。
 
この詩篇の作者(ダビデ)は、その事実を知っていました。
彼にとって、神様は、気休めではありませんでした。
信仰も、気休めではありませんでした。
いつも神様から力を得て、神様に守られて、愛されて生きていたのです。
まさに、ハレルヤの人生です。
うらやましい限りですね。
 
しかし、このうらやましい生活は、ダビデのような特別な人だけのものではないのです。
私たちすべての人が招かれている生活なのです。
「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。・・(中略)・・神は、われらの避け所である。」(8節)
ここで作者は、すべての人に呼びかけています。
特別な資格や条件は必要ありません。
あなたは、そのままで神様に愛されているのですから。
さあ、ただ神様を待ち望みましょう!
愛の確信をもって、神様をほめたたえましょう。
 
 
あなたの生活に、今、与えられる奇蹟があります。
それは、限界の果てが絶望や失望ではなく、希望にあふれる生涯です。
神様が、あなたの岩、あなたの救い、あなたのやぐら、あなたの栄光、あなたの避け所、あなたの力、あなたの恵みになるのです。
不可能の壁を突き破る鍵は、「ただ神様を待ち望む」ことです。
そのとき、あなたは決してゆるがされません。
 
神様の愛の中で、神様の力に守られて、大いなる喜びの中で生きていきましょう。



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