詩篇に楽しもう 16 
『詩篇第62篇』 詩篇第62篇 
  
この詩篇は、確信の詩篇です。 
私は決して、ゆるがされない。(2節) 
私はゆるがされることはない。(6節) 
  
しかし、信仰が深いから、意志が強いから、ゆるがされないのではありません。 
支えてくれる神様が力強いから、ゆるがされないのです。 
生きて働く神様の体験、この体験があるからこその確信なのです。 
もしも、体験がなかったら、これはただの盲信です。 
  
神様とともに生きる、生きた神様との生活が、この詩篇には歌われているのです。 
作者は神様をこのように表現しました。 
(2節&6節)「わが岩」「わが救い」「わがやぐら」 
(5節)「私の望み」 
(7節)「私の救い」「私の栄光」 
(8節)「われらの避け所」 
(11節)「力は、神のもの」 
(12節)「恵みも、あなたのもの」 
  
この生活を得るための、体験するための秘訣は、次の言葉です。 
「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。」(1&5節) 
  
努力することは、もちろん、悪いことではありません。 
しかし、不完全な私たちの努力は、いつか限界に達します。 
努力が限界に達して、その先は不可能と思えたとき、私たちはそこに失望の荒野を見るのではないでしょうか。 
しかし、限界の先、不可能の壁の向こう側は、絶望と失望ではないのです。 
その先、私たちからみた不可能の領域にあるのが、神様の可能の領域なのです。 
絶望と思われるところに、神様からの希望があるのです。 
神様を待ち望む者には、この希望が与えられるのです。 
  
この詩篇の作者(ダビデ)は、その事実を知っていました。 
彼にとって、神様は、気休めではありませんでした。 
信仰も、気休めではありませんでした。 
いつも神様から力を得て、神様に守られて、愛されて生きていたのです。 
まさに、ハレルヤの人生です。 
うらやましい限りですね。 
  
しかし、このうらやましい生活は、ダビデのような特別な人だけのものではないのです。 
私たちすべての人が招かれている生活なのです。 
「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。・・(中略)・・神は、われらの避け所である。」(8節) 
ここで作者は、すべての人に呼びかけています。 
特別な資格や条件は必要ありません。 
あなたは、そのままで神様に愛されているのですから。 
さあ、ただ神様を待ち望みましょう! 
愛の確信をもって、神様をほめたたえましょう。 
  
  
あなたの生活に、今、与えられる奇蹟があります。 
それは、限界の果てが絶望や失望ではなく、希望にあふれる生涯です。 
神様が、あなたの岩、あなたの救い、あなたのやぐら、あなたの栄光、あなたの避け所、あなたの力、あなたの恵みになるのです。 
不可能の壁を突き破る鍵は、「ただ神様を待ち望む」ことです。 
そのとき、あなたは決してゆるがされません。 
  
神様の愛の中で、神様の力に守られて、大いなる喜びの中で生きていきましょう。 
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