24   コリントにて 〜腰を据えて〜(2007.04.28)
『コリントにて 〜腰を据えて〜』 使徒 18:1-11
 
今週、土曜礼拝が第204回で、次の火曜日で火曜礼拝が第96回です。
土曜と火曜合わせて300回目の礼拝を前にして、私に与えられた聖書箇所はここでした。
この箇所がどうしても頭から離れないで、心に引っ掛かり続けていたのです。
はじめ、それはどうしてかわからないでいたのですが、神様はそれを教えてくださいました。
この箇所こそ、サンパウロ・ゴスペルハウスの原点で、私の伝道の原点でもあったのです。
 
コリントでの滞在中、3節にあるように、パウロは自らの手で生活費を作っていました。
自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。
彼らの職業は天幕作りであった。(3節)
彼は神様から与えられた天幕作りの才能を活かして、伝道生活を送っていたのです。
サンパウロ・ゴスペルハウスは、単立・超教派の伝道所です。
ですから、教団や教会からの経済的支援はありません。
また、礼拝での献金もありません。
それは、このパウロの姿にあこがれていたからです。
 
しかし、パウロに与えられた手幕作りの才能に代わるものが、私に与えられているのだろうかという不安もありました。
でも神様は誠実な方です。
神様は私に、子どもに勉強を教えるという才能を与えてくれました。
そして、それだけでなく、必要に応じてプラスアルファのプレゼントも与えてくれたのです。
パウロには、シラスとテモテがマケドニヤ教会から伝道資金を運んできました。
これによって彼は、もっと神様の言葉を熱心に伝えることができたのです。
また、私たちには、妻にも仕事が与えられ、子どもを安心して学校に通わせることができ、ブラジル滞在中の必要が満たされるようになりました。
 
そして、もちろんこれは、パウロや私だけに起こることではありません。
神様は、一人一人に、神様の愛を表す方法と手段を与えてくれているのです。
誰のまねでもない、あなたならではの神様とともに生きる人生が与えられているのです。
 
サンパウロ・ゴスペルハウスの礼拝は、土曜日です。
土曜日に礼拝をし始めた理由は、「クリスチャンに伝道したい」という思いからです。
これは私の漠然とした夢でした。
土曜日にすれば、日曜日に教会に通っているクリスチャンでも来られるんではないだろうかと思ったのです。
 
教会には、傷つけられた人が多くいます。
私は、教会で傷つけられてしまった人に伝道したいと思っていたのです。
牧師や伝道師につまずき、教会のシステムにつまずき、人間関係につまずいてしまった人たちに、神様から来る愛と自由、神様と生きる楽しさ、喜びを伝えたいのです。
 
不完全な人間同士ですから、ぶつかり合うこともあるでしょうし、裁いてしまうこともあるでしょう。
パウロだって、完全な寛容さはありませんでした。
しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、
「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」と言った。(6節)
と、書いてある通りです。
まさに、堪忍袋の緒が切れた状態ですね。
 
ここで、「反抗」「暴言」とありますが、私は、もしかしたら、固定観念から抜け出せなかったユダヤ人がしつこく質問を続けたのではないかなとも思います。
私自身、そのようにくどくど質問してしまうタイプなので、そんな感じがするのです。
そして、そのようにしつこく質問した多くの場合、「反抗的」とか「従順でない」とか言われるのです。
こちらにはそんな思いはないので、ちょっと傷つけられた気持ちになります。
 
私自身は、みなさんに対して、不必要な責任を負わずにいるつもりです。
でも、不十分な私のことですから、知らずに傷つけているかも知れません。
もし、私から傷つけられたら、一つのことを知っていてください。
それは、「神様はあなたを絶対に見捨てない」ということです。
パウロはこんなキレた状態の中でも、「私には責任がない」とは言いましたが、「神様には責任がない」とは言いませんでした。
ですから、これは呪いではなく、私には手におえないから神様にゆだねるという宣言なのです。
そうです、イエスさまの十字架は、すべての人ためにあるのです。
 
このように異邦人の間で伝道していたパウロに、イエスさまは語りかけます。
「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。
だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。」(9-10節)
パウロは、いったい何を恐れていたのでしょう。
私は、パウロは自分の器の小ささに打ちひしがれ、自分自身を責めていたのではないかと思うのです。
「お前は迫害者であったときにイエスさまに救われたのに、どうして彼らを見捨てたのか」
「お前にイエスさまの愛は本当にあるのか」
そんな彼に、イエスさまは自分自身を責める必要はない、だれもあなたを襲わないと語ったのです。
 
私はブラジルに来る前に、自分自身の無力さとブラジルの大きさに打ちひしがれていました。
しかし、そんな時イエスさまははっきりと幻を与え、励ましてくれたのです。
パウロもイエスさまの励ましによって自分自身を責める世界から抜け出し、「ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」(11節)のです。
 
私たちの生活の中では、乗り越えなければならない壁がたくさんあります。
人間関係、夫婦関係、仕事、育児、・・・
しかし、あなたの目の前の壁は、一人で乗り越えなければならないものではありません。
イエスさまは、いつもあなたと一緒にいて、守り、助け、導くのです。
こえられない壁を突き破ってくれるのです。
私たちは安心して、腰を据えて生きていきましょう。
 
 
誰のまねでもない、あなたならではの神様との生き方があります。
神様は、あなたを決して見捨てません。
イエスさまの十字架は、すべての人のものだからです。
目の前にそびえる壁も、一人で乗り越えなければならないものではないのです。
神様の生きた力は、あなたの人生に生きています。
神様とともに、腰を据えて生きましょう。



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