母の日特別礼拝
『あなたのうちにも宿っている』 2テモテ 1:3-5
テモテは、パウロの第2回伝道旅行で同行者に選ばれた人です。
彼の父親はギリシヤ人で、母親はユダヤ人、パウロの最も頼りになる協力者といっていいでしょう。
新約聖書中のパウロの書簡のうち、6つでは、テモテは共同の執筆者でもあります。
(2コリント、ピリピ、コロサイ、1&2テサロニケ、ピレモン)
パウロと同行した旅以外にも、彼は神様のため十分な仕事をしています。
さて、テモテへの第2の手紙は、パウロが書いた書簡のうち、最後の書簡です。
この最後の書簡の冒頭で、パウロは、祖先への感謝を表現しています。
まずは、自分自身の中に、「先祖以来きよい良心をもって仕えている」(3節)という、感謝すべき事柄を見つけました。
そして、テモテの中にも、「純粋な信仰」(5節)を見つけたのです。
いずれも、親から、特にテモテの場合は母親から受け継いだものです。
そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。(5節)
私たちはみんな、母親から生まれました。
さまざまな状況はあり、母親でない人に育てられた人もいるでしょう。
しかし、誰ひとり例外なく、私たちは母親から生まれたのです。
ということは、母親から確かに何かを受け継いでいるということです。
ところで私たちは、身内の欠点について、必要以上にイライラすることがあります。
それは例えばこんなときです。
自分の中に赦せない部分(未解決の弱点)があって、それと同じ欠点を自分の子どもに見つけてしまったとき。
夫(妻)の中の赦せていない部分を、自分の子どもにの中に見つけてしまったとき。
苦手な姑と同じような部分を、夫(妻)に、また子どもに見つけてしまったとき。
つまり、いやな部分が受け継がれているときに、過剰な反応をしてしまうようです。
そして、このように他者を責めるのと同じように、自分自身の中に受け継がれたいやなものを見つけて、自分自身を責めることもあるでしょう。
受け継がれたということは、つながっている証拠です。
ですから、いやな部分を見つけたとしても、それは絆を再確認するきっかけとして、感謝してしまえばいいのです。
ところが私たちは、頭ではわかっていても、つい、責めたい気持ちになってしまいます。
そんなときは、イエスさまの十字架を見上げましょう。
イエスさまは、「もう、責めなくていいよ」と私たちに語りかけます。
イエスさまは、すべての呪いを一身に受けて、十字架上で私たちに代わって十分に責められ呪われたのです。
「感謝できない、責めることをやめられない」そんな思いを、すべてを十字架につけて、イエスさまに背負ってもらって、解放されましょう。
「イエスさま、解放してください」
イエスさまに叫びましょう。祈りましょう。
そのとき、受け継がれてきたもの、受け継がせてきたもの、あなたのうちに宿っているもの、いいもの悪いもの含めて、つながっていることへの感謝に変えられるのです。
自分を責めなくてよくなります。
親を責めなくてよくなります。
子どもを責めなくてよくなります。
「欠点に見えるところも感謝!」のハレルヤの人生が始まるのです。
あなたのうちに宿っている、感謝と祝福の種に、ハレルヤ!と叫びましょう。
この感謝の種を与えてくれた神様に、そして、受け継いでくれた母親に、感謝しましょう。
あなたのすてきな母の日をお祈りいたします。
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