30   五旬節の日になって (ペンテコステ2007 2007.05.26)
ペンテコステ2007
『五旬節の日になって』 使徒行伝 2:1-14, 41-47
 
五旬節(ペンテコステ)とは、過越しの祭・仮庵の祭と並ぶユダヤ3大祭の1つです。
過越しの祭から50日目、大麦の収穫が終わる頃に行なわれる祭で、「七週の祭り」(出34:22,申16:10),「刈り入れの祭り」(出23:16),「初穂の日」(民28:26)とも言われます。
キリスト教にとっては、聖霊様が「もう一人の助け主」として激しく注がれた日で、教会の誕生日とも言うことのできる記念日です。
 
ペンテコステを前にした弟子たちの様子は、次の箇所に書いてあります。
この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。(使徒行伝1:14)
祈りは大切なことです。
また、祈りは大いなる力を持っています。
 
しかし、ここでの彼らの祈りは、そのような勝利の祈りとはちょっと違ったものでした。
イエスさまを失い、彼らには行動する力がありませんでした。
何をしたらいいのかというアイデアも、方向性もつかめないままの、苦しみ、悲しみの中の祈りでした。
つい2ヶ月前には、イエスさまを熱狂的に迎えた支持者も減り、今や彼らは重罪人として処刑されたイエスさまの弟子たちなのです。
見つかったら迫害されるということも、現実の問題でした。
 
だから彼らは、表立って何もすることができず、祈ることしかできないでいたのです。
文字通りの八方ふさがりの状態です。
人間的にみたら、まったく困難な状況です。
しかし、こんなときも、神様にとっては、教会誕生前の期待のときだったのです!
まるで、赤ちゃんの誕生を待つ親たちのような、そんな期待のときなのです。
 
そして、力をなくした弟子たちのところへ、聖霊様が下りました。
まさに、一方的な恵みとして聖霊様が注がれたのです。
聖霊様が注がれたのは、「彼らが祈ったから」と言う人がいます。
確かに彼らは祈っていましたし、聖霊様は彼らに注がれました。
この2つは確かに事実です。
結果として、そう見えるかも知れませんが、この2つの現実に因果関係はありません。
 
たとえば、マクドのハンバーガー食べてから、じゃんけんしたら負けたとしましょう。
この2つの事実には、因果関係はもちろんありません。
事実が続いて起こったからといって、因果関係があるとは限らないのです。
もし、祈りが要因だとするならば、私たちは祈りが聞かれなかったとき、「祈りが足りない」とか「真摯な祈りでなかった」などと、自分も他人も責めることになってしまいます。
神様は自由な方です。
神様のタイミングで、私たちに最適なときに神様は聖霊様を注ぐのです。
 
神様の恵みとして一方的に注がれた聖霊様は、彼らの生き方を一変しました。
人々からの迫害を恐れて隠れていた弟子たちが、大胆に語りだしたのです。
50日前には、イエスさまを呪ってまで拒否したペテロが、大胆に証しできるようになったのです。
 
また、聞いていた群集は、各国の言葉で神様のみわざを聞くことになりました。
「私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」(11節)
私はここを読んだときに、このゴスペルハウスの礼拝のようだなぁと思いました。
ここにいる人たちは、まさかブラジルに来て、日本語で神様のみわざを聞くことになろうとは思っていなかったんではないでしょうか。
また、メールやインターネットでこのメッセージを受け取っている人は、ブラジルから日本語でメッセージが送られてくることなど予想していたでしょうか。
神様は本当に不思議な方です。
 
そして、この日は、語った弟子たちや聞いた人たちの人生だけでなく、ユダヤの歴史・世界の歴史を変える日でもありました。
キリスト教会の誕生日だったのです。
こんなことが起こりました。
 
「三千人ほどが弟子に加えられた。」(41節)
失われていた人たちが、もう一度、神様の愛の元へ戻ってきました。
「多くの不思議なわざとあかしの奇蹟」(43節)
彼らの人生の中で、神様の力が現実のものとして働き始めました。
「みないっしょにいて、」(44節)、「心を一つにして」(46節)
バラバラになっていた人々の心に、もう一度絆が与えられました。
「喜びと真心をもって食事をともにし、」(46節)
不安と疑惑の中にいた彼らに、喜びが与えられました。
「すべての民に好意を持たれた。」(47節)
その喜びは自分自身にとどまらず、他の人をも喜ばせることになったのです。
 
そして、このペンテコステの力は、過去のものではありません。
今、あなたの人生に働く、生きた神様の力です。
一方的に与えられるエネルギー、いえ、もうすでに与えられているエネルギーなのです。
イエスさまはこう約束しています。
「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」(ルカ11:13)
 
経験・資格は不問です。
何もすることのできない絶望の中でも、大丈夫です。
神様のペンテコステの愛は、すべての人に、あなたに開かれているのです。
神様は、最高のタイミングで、あなたのペンテコステを用意しているのです。
 
世界中を巻き込むような、大きな力があなたの人生に与えられます。
約束の聖霊様が、あなたに注がれるのです。
あなたは、何もできなくたってかまいません。
それは、神様からの一方的な恵みです。
ペンテコステの愛の中で、あなたの不可能は神様の可能になるのです。



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