31   キリストのからだ (ラブレター18 2007.06.02)
あなたへのラブレター 18
『キリストのからだ』 第1コリント 12:12-31
 
この手紙のあて先であるコリントの教会は、異言を偏重していました。
異言の賜物(たまもの)をみなが求め、与えられていない人を、必要以上に頑張らせていたのでしょう。
現代にも、異言を聖霊のバプテスマの必要不可欠な証拠として、重要視する立場の教会もあります。
それに対しての答え、言葉が、この第1コリント第12章です。
 
ここでパウロは、一つのからだ、キリストのからだという、すばらしいたとえばなしを展開します。
あまりにすばらしいたとえばなしなので、解説がなくても十分に味わうことができます。
じっくり味わえば味わうほど、喜びがあふれてきます。
 
使徒・教師であろうがなかろうが、預言・癒し・奇蹟・異言の賜物があろうがなかろうが、1つのからだとして、みんなが尊いのです。
誰一人欠くことのできないキリストのからだなのです。
一人ひとりに与えられた個性を、神様は尊重しているのです。
みんな同じでなくていい、同じでないからこそ一つのからだなのです。
 
ジャンボジェットには、600万個以上の部品が使われているそうです。
この飛行機は、上空何千メートルを時速1000キロ以上で飛びます。
しかし、部品ごとにばらばらにしたならば、どの部品も単独で飛ぶことはできません。
また、無計画に寄せ集めただけでもダメです。
意思をもって設計され、組み立てられたときに、ジャンボジェットははじめて飛べるのです。
そうしたときにはじめて、ねじ1つ、パッキン1つが生きてくるのです。
 
キリストのからだも、意思を持って組み上げられています。
その意思の中にあったときに、私たち一人ひとりは本当の居場所を知り、本当の価値を知るのです。
その意思は、愛です。
いのちを捨ててまで、つらぬき通す愛です。
「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。
また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。」(31節)
よりすぐれた賜物、さらにまさる道、これが愛です。
この箇所に続く、第1コリント第13章は、「愛の章」といわれています。
この愛を十分に受けたときに、私たちは、はじめて自分自身のすばらしさを知るのです。
 
神様の愛をたっぷり受けて、イエスさまの十字架のいのちがけの愛をたっぷり受けて、それを味わいましょう。
そのとき、自分自身の価値を味わうことができるのです。
 
あなたは、神様にとって、欠かすことのできない存在です。
使徒や教師・牧師でなくっても、そんなことは問題ではありません。
異言や癒しの賜物がなくっても、あなたは神様にとって特別な存在なのです。
あなたは、愛によって組み上げられた、キリストのからだを担っているのです。
神様の愛をいっぱい受けて、あなたの本当の価値をしっかりと味わいましょう。
なくてはならない、あなただけの人生を歩みましょう。



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