メッセンジャーはイエスさま 21 
『 Vamos! 』 マルコ 4:35-41 
  
今日の聖書の箇所のガリラヤ湖は、地形の影響もあって、突風が吹くことが多かったようです。 
この箇所でも、突風が吹いていますが、元ガリラヤ湖畔の漁師が多い弟子たちでさえ恐れおののく突風でした。 
そんなすさまじい突風の中、イエスさまは熟睡していました。 
そして、イエスさまがしかりつけたら、嵐がやんだのです。 
  
弟子たちはなぜ、こんな突風に遭遇しなくてはいけなかったのでしょう? 
そのきっかけは、イエスさまにあります。 
「さあ、向こう岸へ渡ろう。」(35節) 
英語訳の聖書では、"Let us go across to the other side of the lake."、 
ポルトガル語訳では、"Vamos atravessar para o outro lado." とあります。 
  
向こう岸というのは「対岸の火事」という言葉もあるように、自分のエリアの外を表します。 
自分がまだ行ってことのない新しい領域、新しい場所と考えることもできます。 
もしも、渡らずにこちら側にとどまれば、安泰かも知れません。 
しかし、渡らなければ得られないことも多くあるのも、また、事実です。 
そしてそこに行き着くには、思いもよらない試練があるのかも知れません。 
  
そのような試練に出会ったときに、2つの反応があります。 
1つは、弟子たちのように、慌てふためき、恐れおののくという反応です。 
もう1つは、イエスさまのように、熟睡して、なおかつ嵐を静めるという反応です。 
人間関係や、子育ての問題の中で、イエスさまのような態度が取れたらいいのは言わずもがなです。 
しかし、私たちはともすると、弟子たちのように慌てふためくことになりがちではないでしょうか。 
  
では、イエスさまの秘訣はどこにあったのでしょう? 
それは、神様の愛の中にいる安心感です。 
イエスさまは、錯覚や盲信でない、生きた神様の力に抱かれていたのです。 
言い換えれば、完全な信頼をもって、神様とともに現実生活をしていたということです。 
だから、嵐の中でも熟睡もでき、生きた神様の力によって、嵐を静めることもできたのです。 
  
ここまで理解すると、次の言葉も理解できます。 
「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」(40節) 
ここでは、弟子の不信仰を責めているような印象を受けます。 
しかし、イエスさまは、「君たちだけで向こう岸に行きなさい」とは言いませんでした。 
「さあ、向こう岸へ渡ろう。」(35節) 
"Let us go "  "Vamos atravessar "、つまりイエスさまは、「私と一緒に行こう」と言ったのです。 
  
弟子たちは、イエスさまのことを完全に理解していたわけではないでしょう。 
しかし、神様とともにいる人だということくらいの認識はできていたはずです。 
そのイエスさまと同じ舟にいるんだから、神様の守りがこの舟にあるということを弟子たちは理解すべきだったのです。 
そして、神様の力に期待して、静まって待つ、これが正解でした。 
「神様が一緒にいるから、大丈夫!」これが信仰です。 
信仰する熱意や誠実さが要求されるのではなく、神様への信頼と期待が要求されているのです。 
  
そして、神様がイエスさまとともにいたように、イエスさまは私たちいつもとともにいます。 
毎週の礼拝で行なう聖餐のときの御言葉です。 
「生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。」(ヨハネ6:57) 
イエスさまの十字架の救いを受け入れた私たちには、この言葉が保証されているのです。 
イエスさまは、あなたを決して離れないし、見放さないし、見捨てないのです。 
これは、聖書の中に繰り返される約束です。 
  
クリスチャンになったからといって、試練がなくなるわけではありません。 
人生に嵐は来ます。 
悲しみの嵐、憎しみの嵐、悔しさの嵐、怒りの嵐、私たちの心は荒れ狂います。 
しかし、それは神様から離れたから起こったのではありません。 
神様から呪われてるとか、責められてるから起こるわけでもありません。 
  
嵐は来ますが、心の真ん中にイエスさまを迎えて、心の中に静けさを保ちましょう。 
「心を亡くすと書いて忙しい、心が荒れると書いて慌てる」 
このような使い古された表現にさよならしましょう。 
あなたの心の真ん中に、熟睡したイエスさまを迎えするのです。 
心の真ん中に静けさをもったとき、神様の力があなたの人生に現実のものとして表れます。 
そして、新しい人生があなたに与えられるのです。 
神様は、あなたとともに未知なる世界へ行こう "Vamos atravessar " と約束しています。 
  
子育てにも、人間関係にも、仕事にも、勉強にも、心に静けさをもって進みましょう 
そのとき、到達できなかった向こう岸へ行くことができるのです。 
どうしようもなかった嵐を、静めることもできるのです。 
イエスさまは、いつもあなたとともにいてくれます。 
決して一人にされない約束 "Vamos atravessar " は、あなたのものなのです。 
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