33   悪い農夫のたとえ (たとえ26 2007.06.16)
イエスさまのたとえばなし 26 
『悪い農夫たちのたとえ』マルコ12:1-12
(並行箇所:マタイ21:33-46, ルカ20:9-19)
 
このたとえばなしは、具体的に何を指しているのか、よくわかるたとえばなしです。
ぶどう園は、旧約聖書でもよくたとえられたように、イスラエル・神様の民を表します。
そうすると、ぶどう園の主人は神様で、その管理を任されている農夫がイスラエルの指導者ということになります。
農夫のもとへ遣わされていくしもべは預言者で、主人の息子はイエスさまというわけです。
それを理解したうえで読むと、このたとえはとてもはっきりとした内容になります。
 
ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。(1節)
準備をしたのは、すべて主人(神様)です。
神様は、神様の民・イスラエルと契約するに際して、すべてのものを準備しておきました。
そして、旅に出るとは、彼らに自由を与えたということです。
四六時中見張って、あらを捜して、けちをつけるということはせずに、人間に自由を与えたのです。
もちろん、その自由は、神様との契約の中での自由です。
そして、これこそが、めちゃくちゃや放縦ではない、本当の自由なのです。
 
ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、しもべを農夫たちのところに遣わした。(2節)
神様主導でなされた愛の契約、その契約の実を神様は集めに来たのです。
それは、神様の愛をいっぱい受けて、神様を喜ぶ心です。
神様の愛の中で、喜びにあふれて生きる人生です。
 
しかし、農夫たちは、神様が送ったしもべ(預言者)を迫害します。
何度も何度も迫害し、裏切り続けます。
にもかかわらず、神様は信じられないほどの忍耐をもって、対応し続けるのです。
そして、最後には、愛するひとり子を遣わすほどに、民を愛しぬくのです。
しかし、欲にかられたイスラエルの指導者(農夫たち)は、イエスさまを拒否し、殺します。
そして、とうとう、彼らに裁きのときが来るのです。
これが、このたとえばなしのあらましです。
 
このたとえばなしは、イエスさまが十字架にかかる週に語ったものです。
そして、このたとえに言われているように、イエスさまはイスラエルの指導者によって拒否され、殺され、捨てられたのです。
また、指導者たちは、紀元70年のエルサレム陥落のときに、みな殺されてしまいます。
イエスさまのたとえばなしは、まったく成就したのです。
 
私たちも、いのちを神様から預かり、自由に生きています。
誰も命を自分自身で作り出した人はいません。
すべて、神様から与えられた人生です。
そして神様は、そんな私たちの人生に、神様の民としての証しを受け取りに来ました。
私たちが神様に立ち返るために、たくさんの人を送ってくれました。
何度も何度も裏切る私たちに、寛容を示してくれました。
ですが、私たちは何度も拒否し続けてきたのではないでしょうか。
 
私たち自身が、神様の大切なぶどう園であり、その管理を任された農夫でもあるのです。
さて、神様の裁きに、私たちは耐えられるのでしょうか。
 
もし、このたとえが9節で終わっていたなら、このたとえは裁きの警告で終わってしまいます。
しかし、イエスさまは続けます。(10-11節)
『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。
これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』
この箇所は、詩篇118編からの引用です。
 
イエスさまは、罪は裁きで終わらないと言うのです。
たとえ、イスラエルが、いえ、私たちがイエスさまを捨てたとしても、それで終わりではないのです。
捨てられたイエスさまは、新しい人生の土台になったのです。
「あなたがたは私を見捨てて殺すだろう。しかし、私はあなたがたのために、新しい人生を与えよう。」
イエスさまは十字架を前にして、ユダヤの指導者たちへ最後の愛の訴えをしているのです。
「いまからでも遅くない、いつからだってやり直せるんだ。」
イエスさまのメッセージです。
 
しかし、
それで、イエスを残して、立ち去った。(12節)
指導者たちは、イエスさまの前を立ち去っていきました。
 
私たちも、神様を裏切り続けてきました。
従いきれない弱さ、傲慢さ、わがまま、身勝手、これが私たちの姿です。
そんな私たちのために、イエスさまは十字架にかかって、すべての呪いをうけ、見捨てられたのです。
しかし、そのことによって、イエスさまは私たちの人生の新しい土台になりました。
大きな、決して揺らぐことのない、強く堅い土台です。
死の力にも打ち勝つ、まったく新しい、生きるいのちの土台です。
私たちに神様の子としての特権を、再び与えるために、イエスさまは見捨てられ、殺されたのです。
 
この生きるいのちの土台への入り口は、すべての人に開かれています。
何度私たちが拒否しても、それでチャンスを逃しても、イエスさまはもう一度のチャンスをくれるのです。
そう、いまは裁きのときではなく、救いのとき、赦しのとき、恵みのときなのです。
新しい土台を得て、イキイキと輝いて、喜びの人生をはじめましょう。
 
「神様のもとに帰ろう、神様とともに住もう」イエスさまからの愛の訴えです。
あなたは、この愛の訴えに、どうこたえますか。
ユダヤの指導者のように、いまの自分にこだわり、立ち去りますか。
それとも、新しい人生の土台の上で、喜びに満たされて生きますか。
人生の土台を変えるのに、遅すぎるなんてことはありません。
もうワンチャンスが、あなたには与えられているのです。
神様の愛の扉は、いま、あなたの前に開かれています。



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