ゴスペルハウス祈りの集会準備礼拝 01 
『そのとおりになります』 マルコ 11:22-25 
  
サンパウロ・ゴスペルハウスでは、2003年4月26日以来、約400回(土曜・火曜合計)にわたって、聖餐・賛美・御言葉を中心として礼拝をおこなってきました。 
そして今回、神様から強い勧めを受けたので、ゴスペルハウス祈りの集会をはじめることになりました。 
7月1日から、毎月第1日曜日午前9時が、祈りの集会です。 
  
だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(23節) 
今週の聖書箇所で、最も知られている部分でしょう。 
この山は、小学校の校庭の端っこなどにある築山のような小さな山のことではありません。 
私は、小学生の頃、あまり運動が好きではなかったので、よく築山に登っていました。 
他の子供達は、本当の山に登って遊んでいるのに、2,3メートルの築山で満足していたのです。 
いま思えば、地味な少年時代でした。 
こんな築山なら、いつの間にか作られて、いつの間にか壊されていくこともあるでしょう。 
  
しかし、ここで書かれている山は、正真正銘の山です。 
信じて宣言しただけで、そんな大きな山が動いた人はいません。 
現代ならば、都市開発などで、山が削られることはあるかも知れません。 
当時の人々にとって、山が動くというのは、まさに不可能の象徴でした。 
あるはずないことです。 
でも、イエスさまは、「そのとおりになる」と言うのです。 
  
現代最先端の科学のひとつに、生命科学があります。 
いのちの仕組みに取り組む学問です。 
しかし、いまだ誰も、いのちのないものからいのちを作り出してはいないのです。 
昔の科学の最高峰は錬金術でした。 
土から金を作り出すという錬金術も、結局、誰も成功しませんでした。 
  
いのちも金も、人工的には作り出せませんでしたが、地球上にはたくさんのいのちとたくさんの金が存在しています。 
科学者の努力の大きさからわかるように、これらは、偶然できてしまうようなものではありません。 
これらは、地球が、地球を作った宇宙が、宇宙を造った神様がはぐぐみ作り出したものです。 
尊い存在、まさに、ありがたい存在です。 
  
科学者が作れなかったいのちを、錬金術師が作れなかった金を、作った神様がいるのです。 
その神様は、誰も作れないような大きな山を作った方でもあるのです。 
そして、イエスさまは、その神様の力があなたのものになる、と言っているのです。 
  
その秘訣は、「神を信じなさい。」(22節)です。 
このときこの言葉をかけられたのは、イエスさまの弟子たちです。 
弟子達は神様を信じていました。 
人並み以上に信じていたといっていいでしょう。 
しかし、イエスさまは、そのことを承知した上で、あえて言ったのです。 
  
私たち人間は、自分の感情に振り回されがちです。 
感情に振り回されたらろくなことはないとわかっていても、振り回されてしまう弱い存在です。 
イエスさまは、自分の感情を信じる(振り回される)のではなく、神様を信じなさいと言うのです。 
  
そうすると、次の言葉も新しい光を放ちはじめます。 
「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。 
そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」(25節) 
恨み事があるとき、私たちの心は、その恨みの感情に満たされてしまいます。 
私たちの心が、その人の奴隷になってしまうです。 
恨みの感情の奴隷になってしまうといってもいいでしょう。 
しかし、赦すことによって、私たちは自由になれるのです。 
自由人として、解放されて、神様を信じるのです。 
神様が私たちに要求しているのは、奴隷ではありません。 
  
感情から解放されたとき、憎しみから解放されたとき、神様の力は、あなたのものになるのです。 
「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(24節) 
この言葉が、現実のものとして、あなたの人生に働き始めるのです。 
その保証は、イエスさまの十字架です。 
十字架によって、あなたは、神様の子どもの特権をいただいたのです。 
  
祈りには力があります。 
  
木曜日のことになりますが、私は長男はれる(7歳)が宿題をするのを一緒に見ていました。 
私は、授業が終わってクタクタで、なおかつ、とってもお腹がすいていたので、ちょっとイライラしていました。 
それで、必要以上に、冷たく厳しい言葉をかけてしまいました。 
宿題も終わって、はれるをベッドに寝かした後に、反省の念が沸きあがってきました。 
それで、彼のベッドに行って、「はれるくん、ごめんね。パパ、いっぱいひどいこと行っちゃって。」と言いました。 
すると彼は、「うん、いいですよ。」と言った後で、布団をかぶってブツブツ言っているのです。 
  
何を言っているのかよく聞き取れないのですが、「ああ、そんなに傷つけちゃったんだ」と、自分のしてしまったことについて愕然とし、反省していました。 
すると、「・・・・の名前によってお祈りいたします、アーメン」と、彼の声が聞こえてきたのです。 
そこで、「何をお祈りしていたの?」と聞くと、 
「パパの心がはれるの心になって、はれるの心がパパの心になるようにお祈りしてたの」と、彼は答えてくれました。 
  
彼の日本語はときどき不思議なので、この言葉の意味もよくわかりませんでした 
でも、この言葉を聴いたときに、私は涙があふれて止まりませんでした。 
それは、後悔の涙ではなくて、喜びの涙でした。 
そのまま私は、喜びの涙とともに、泣き寝入りをしたのです。 
はれるの祈りが、祈りに答えてくれた神様が、私の失敗を喜びの体験に変えてくれたのです。 
  
この祈りの力は、もちろん、あなたの人生にも注がれています。 
さあ、祈りましょう。 
そして、期待しましょう。 
「そのとおりになります」が、あなたの人生に与えられるのです。 
  
  
ゴスペルハウスの祈りの集会が始まります 
祈りの力に期待しましょう。 
神様の力に期待しましょう。 
罪の奴隷から、憎しみの奴隷から、解放されましょう。 
神様の子どもとして、喜びの涙を流しましょう。 
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