シリーズ ハレルヤ! 02 
『ハンナのハレルヤ』 1サムエル 2:1-11 
  
今週の聖書箇所は、先週の箇所の続きになります。 
神様の祝福と恵みによって、サムエルを得た母ハンナのハレルヤ(祈り・賛美)です。 
  
私たちの人生には試練があります。 
クリスチャンでもあっても、そうでなくっても、人間ならみな試練に会うといってもいいでしょう。 
その中には、自分の力で乗り越えられる試練もあります。 
自分の力で乗り越えられる試練は、乗り越えたらいいのです。 
それは、その人の経験となり、力になります。 
  
しかし、ときには、乗り越えられない試練、突き破れない壁にぶち当たることもあるでしょう。 
そんな時、私たちは、自分の力で何とか乗り越えようとし、ヘトヘトになります。 
そして、力尽き、絶望せざるを得なくなります。 
その先は、・・・・・・どうなるのでしょう。 
その問題から目をそらし、無関心やあきらめの気持ちで、偽りの安心を得ることもあるでしょう。 
また、自暴自棄になり、暴走し、最後は自らのいのちを絶って、問題の解決にすることもあるかもしれません。 
それらは、いずれも根本的な解決には至りません。 
  
先週見たとおり、ハンナは、不妊の女という、乗り越えられない壁の前でうめいていました。 
彼女は、神様の前で、悲しみの心・本音の悲しみを注ぎだし、泣いたのです。 
そのとき、彼女に未来の祝福の確信が与えられ、彼女は未来の祝福を生きはじめることができたのです。 
その祝福の約束どおりに、ハンナはサムエルを得て、ハンナのハレルヤが生まれました。 
  
ここで彼女が歌っているのは、「革命的な逆転を与える神様」です。 
「神様による、画期的な逆転の人生」といってもいいでしょう。 
「勇士の弓が砕かれ、弱い者が力を帯び、 
食べ飽いた者がパンのために雇われ、飢えていた者が働きをやめ、 
不妊の女が七人の子を産み、多くの子を持つ女が、しおれてしまいます。」(4-5節) 
  
逆転の人生、それは、自らの弱さに絶望するときにこそ、神様からの本当の強さが与えられる人生です。 
たえ切れない悲しみの中にあって、本当の喜びが与えられる人生です。 
自分の力を誇っていた者がヘトヘトになり、自らの力に絶望した者が神様の力でイキイキする人生です。 
  
「開き直るが勝ち」ではなく、「火事場の馬鹿力」でもなく、確かな神様の力が、ハンナのハレルヤの根拠です。 
世界を創り支える神様の力が、自らの人生に与えられたときに起こる奇蹟なのです。(参照6節以降) 
  
このハンナのハレルヤは、大カンティカ・マグニフィカトと呼ばれるマリアの賛美(ルカ1:46-55)とよく似ています。 
ハンナは紀元前1050年頃、マリアは紀元0年ごろの人です。 
ですから、ハンナのハレルヤはマリアの賛美の原型ではないか、マリアはこれを知っていたのだと言う人たちもいます。 
確かに、敬虔なマリアは、ハンナのハレルヤを知っていたでしょう。 
しかし、彼女はまねをしたり、引用したわけではないと思うのです。 
そうではなく、生きて働く神様が与えた、逆転の人生の喜び、同じ喜びの源が、2人に同じような賛美をさせたのではないでしょうか。 
  
ハンナとマリアに、時をこえて与えられた「革命的な逆転」「逆転の人生」は、あなたにも与えられています。 
イエスさまの十字架が、その保証です。 
罪のない神様のひとり子が、罪ある私たちの身代りとなって十字架にかかり、罪人とされ、呪われ、死んだのです。 
この史上最大の逆転は、あなたに逆転の人生を与えるためなのです。 
  
自分の力にしがみつくのをやめましょう。 
自らを縛っている、否定的なイメージから解放されましょう。 
あなたは、神様の宝物として、ハレルヤの人生を与えられたのです。 
がんばる必要はありません。 
神様の力によって、ハレルヤの人生の扉を、大逆転の人生の扉を開けましょう。 
  
  
乗り越えられない壁は、ハレルヤの人生への扉になりました。 
こらえきれない悲しみも、喜びの人生への扉になりました。 
神様はあなたに、「革命的な逆転の人生」を与えたのです。 
神様の愛の中で、神様の宝物として生きますか? 
それとも、今までの価値観に縛られて生きますか? 
3000年の時をこえて、この奇蹟は、今、あなたの人生に与えられているのです。 
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