39   ゲラサの男(1) --たった一人のために-- (話そう45 2007.07.28)
イエスさまと話そう45
『ゲラサの男(1)---たった一人のために---』
マルコ 5:1-20 (並行箇所:マタイ8:28-34、ルカ8:26-39)
 
今週の聖書箇所は、ガリラヤ湖畔のゲラサ人の土地(ガリラヤとは対岸)で起こった出来事です。
簡単に言うと、悪霊につかれていた男が、イエスさまによって、悪霊から解放されたという内容です。
この箇所から、何回かに分けて、メッセージをお伝えしようと思います。
 
今週のテーマは、「たった一人の男のために、嵐を越えてやって来るイエスさま」です。
 
「こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。」(1節)とありますが、この前の箇所を読むと、どのようにここに至ったかがわかります。
さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。
そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。
他の舟もイエスについて行った。(マルコ4:35-36)
 
イエスさまは、慕ってくれている群集を残して、弟子たちと対岸に向かいました。
しかも、途中でいのちの危険を感じるほどの嵐に会い、嵐を静めてまで、対岸に向かったのです。
そして、悪霊につかれている人を解放すると、ゲラサの人々の願いもあり、すぐに戻ってきています。
 
帰航後の様子は、次の通りです。
イエスが舟でまた向こう岸へ渡られると、大ぜいの人の群れがみもとに集まった。イエスは岸べにとどまっておられた。(マルコ 5:21)
さて、イエスが帰られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたからである。(ルカ8:40)
 
たくさんの群集の期待の中、彼らを残してまで、嵐をこえ、嵐を静めてさえ、湖を越えてイエスさまは彼のために行動したのです。
たった一人のこの男の人のためにです。
ゲラサの悪霊につかれた男に向かって「嵐をこえて私のもとに来たら救ってやる」という態度ではないのです。
いのちがけでイエスさまのもとに向かったら救われるのではなく、イエスさまがいのちがけで救いに来てくれるのです。
 
私たちがブラジルに来るちょっと前に、妻が神様から質問をされました。
「救われる人がたった一人しかいなかったとしても、お前たちはブラジルへ行くのか?」
妻は神様に答えたあと、私のところに来てこう言いました。
「神様からこう聞かれたから、答えといたよ。いいよね。」
「ふーん。それでなんと答えたの?」
「もちろん、行くって言っといた。」
私の答えも、もちろん同じでした。
 
この体験があったからこそ、私たちは、ブラジルでここまで過ごしてこられたのだと思います。
この体験がなかったなら、元来、見栄っ張りの私は、たった一人の人への神様の愛の大きさに気がつかずに、大きく広がらない伝道を理由に帰国していたことでしょう。
「どうせ、誰か別の人がするさ」と、捨てぜりふを残して。
この体験は、私たちの伝道の大きな支え、神様からのプレゼントでした。
 
イエスさまは、たった一人の存在の大切さを説いてきました。
そして、人々に求めてきました。
一匹の羊と九十九匹の羊のたとえ、一枚の銀貨のたとえ、真珠・宝物のたとえもそうです。
そして、説いて求めるだけでなく、それを誰よりも実行したのが、イエスさまなのです。
それは過去形ではなく、現在も同じです。
 
あなたというたった一人のために、イエスさまは嵐をこえ、いのちをかけてやって来ました。
あなたは、イエスさまがいのちをかけるのに値する存在なのです。
この事実を知ったとき、受け入れたとき、見えるものが変わります。
視点が変わります。
そして、あなたの人生が変わり、あなたの生きる世界が変わるのです。
心からハレルヤと賛美する、新しい人生がはじまります。
さあ、ハレルヤの人生を歩んでいきましょう。
たった一人のあなたを愛する、イエスさまと一緒に。
 
 
たった一人のあなたのために、イエスさまはやって来ます。
たった一人のあなたのために、イエスさまはいのちをかけます。
あなたは、それだけの価値がある、神様の大切な宝物なのです。
言葉や理屈でない、本当の愛が、あなたの人生に注がれています。
さあ、この愛の中で、世界で一つしかない、あなたの人生を生きましょう。



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