イエスさまと話そう46  
『ゲラサの男(2)---あなたは主の宮、主の戦士---』 
 マルコ 5:1-20 (マタイ8:28-34、ルカ8:26-39) 
  
神様を信じていると言うと、次のようなことを言われることがあります。 
「これだけ科学が進歩した現代に、神様信じるんですかぁ?」 
「宗教は心の問題で、現実の科学とは別ですよね。」 
確かに一理あるようですが、大学時代に科学を専攻していた私は、こう思うのです。 
この調和の取れた宇宙は、神様なくしてはありえない。 
神様あってこその科学なのではないだろうか。 
ニュートンやアインシュタインといった天才科学者たちは、神様の存在なくしては、あれだけの偉業を成し遂げなかったのではないだろうか。 
  
今週の聖書箇所からの説教は、今までに、たくさんの人たちがしてきました。 
私はそのうちのいくつかを、読んだり、聞いたりしました。 
その中には、次のようなものもいくつかありました。 
この男の人は、悪霊につかれたと勘違いしていた(思い込んでいた)だけである。 
当時は、精神的な病気や原因不明な病気はすべて悪霊のせいにしがちだった。 
豚は、この騒動に驚いて湖に落ちたのだ。 
  
神様や聖書を信じていない人ではなく、牧師や神学者までもが、聖書の記述に疑問を持っているのです。 
  
もし、悪霊につかれていたというここでの記述が勘違いならば、イエスさまの十字架による救いも勘違いということになりかねません。 
科学の発達していない昔の人だけが信じることのできる迷信ということになってしまうのです。 
確かに、1人の人が受ける刑罰で、信じる人すべてが救われるなんて、刑法上はありえません。 
しかし、これは錯覚でもなく、ペテンでもない、私たちに与えられた真実の救いなのです。 
  
聖書は真実の言葉です。 
神様の言葉です。 
もしかしたら、多少の誤訳はあるかもしれませんが、信頼すべき神様の言葉です。 
その聖書が「悪霊がいる」と明言するなら、悪霊はいるのです。 
そう、今も悪霊はいるのです。 
  
では、悪霊はどんなものなのでしょうか。 
第1に、悪霊は「私たちを、本来あるべきところから引き離すもの」です。 
「彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。」(ルカ8:27) 
「彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押えるだけの力がなかったのである。」(マルコ5:4) 
この男の人は、本来いるべき場所を失っていました。 
着物を脱ぎ、家から出て、鎖や足かせにつながれても引きちぎっていました。 
人間の本来あるべきところは、愛の中です。 
神様に愛され、神様を愛し、人と愛し合うことです。 
そして、この愛の関係の破壊こそが、悪霊の仕事なのです。 
  
第2に、悪霊は「人間よりもずっと神様を知っているもの」「イエスさまの力を知っているもの」です。 
この箇所の直前で弟子たちはこう言っています。 
「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」(マルコ4:41) 
側近の弟子たちでさえ、イエスさまは何者なのかわかっていませんでした。 
しかし、悪霊はイエスさまにこう言っているのです。 
「いと高き神の子、イエスさま。」(マルコ5:7) 
悪霊は、私たちよりもずっとイエスさまを知っているのです。 
  
第3に、悪霊は「決してイエスさまの力にかなわないもの」です。 
この箇所で、悪霊はイエスさまにかなわないことを知っていて、イエスさまを拝し、イエスさまに懇願しています。 
悪霊は、自分自身の力がイエスさまに遠く及ばないことを知っているのです。 
  
そして悪霊は、この男の人を翻弄したように、私たちをも振り回そうとしてきます。 
私たちは、悪霊とどう戦ったらいいのでしょうか。 
それは簡単なことです。 
あなたの人生に、イエスさまをお迎えすることです。 
難しい教理的なことは必要ありません。 
あなたの人生の救い主として、あなたの神として、イエスさまをお迎えすることです。 
  
あなた自身が、イエスさまの住むところ、主の宮であることを宣言するのです。 
そして、悪霊へ追い出しの宣言・勝利の宣言をしましょう。 
悪霊は、イエスさまの力を、私たち以上に知っています。 
私たちの力では、悪霊には勝てません。 
「だれにも彼を押えるだけの力がなかったのである。」(マルコ5:4)とあるとおりです。 
しかし、イエスさまの力によって、私たちは絶対的に勝利するのです。 
  
しかし、悪霊はすぐには引っ込まず、つべこべ言ってきます。 
「そんなこと言うが、お前は・・・だから、神様に愛される資格ないだろう。」 
私たち以上にイエスさまを知っている悪霊は、私たちのこともよく知っていて、一番痛いところを突いてきます。 
こんなとき、うろたえる必要はありません。 
イエスさまの一方的な憐れみと赦しと愛の宣言をしましょう。 
「こんな私でも、いや、こんな私だからこそ、イエスさまは受け入れてくれたんだ。 
赦してくれて、愛してくれて、神様の子どもとしてくれたんだ。 
お前は、つべこべ言わずに引き下がれ。」 
イエスさまの十字架の愛が、あなたの人生に勝利を与えるのです。 
  
子どものころ、お化けや幽霊や妖怪は怖いものでした。 
それらが怖いのは、いるかいないかわからないからというのも、原因の一つでしょう。 
悪霊は、「いる!」のです。 
いるからこそ、恐れないで戦えるのです。 
イエスさまがいるから、恐れることはありません。 
あなたは、あなたの人生において、主の宮であり、主の戦士なのです。 
イエスさまの十字架の愛によって、悪霊に勝利しましょう。 
  
  
あなたは、主の宮です。 
イエスさまは、あなたと共にいます。 
あなたは、主の戦士です。 
イエスさまが、あなたと共に戦われます。 
さあ、高らかに勝利を宣言しましょう。 
むやみに悪霊を恐れる必要はありません。 
神様からの徹底的な愛によって、完全な勝利は、あなたのものなのです。 
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