4   詩篇 第93篇 (詩篇に楽しもう13 2007.01.13 第一礼拝)
詩篇に楽しもう 13
『詩篇 第93篇』 詩篇 第93篇
 
詩篇の第93篇から第100篇は、王の詩篇と呼ばれています。
第93編と第94篇は、その序論ともいえるところです。
本日は、第1礼拝と第2礼拝で、この2つの詩篇を取り上げていこうと思います。
 
第93篇は、理想的な王としての神様に感謝し、たたえる詩篇です。
新改訳聖書で、この箇所を読んだとき、私がいちばん最初にもった感想は、「みいつって何?」でした。
皆さんは知っていましたか?
文学が不得意な私にとっては、「みいつ」という言葉は、はじめて出合った言葉でした。
それで、国語辞書を調べてみると、「威光・威厳」ということがわかりました。
 
さて、内容に入りますが、3節からでてくる「川」とは、イスラエルに脅威を与える強大な国々、エジプトやアッシリヤをたとえています。
それぞれ、ナイル川、ユーフラテス川に栄えた強国なので、川がそれを表しています。
また、4節の「海」は、遠くから迫ってくる異邦諸国を表現しているのです。
 
そして詩篇記者は、それらの力より上回る神様の力、威光、尊厳をたたえています。
それは、神様の民の確かな土台、ゆるぎない土台です。
それゆえに、ハレルヤ!なのです。
 
エジプトやアッシリヤは、かないっこない敵、越えられない壁を表します。
海からの国は、見えない不安です。
これから起こるであろう(起こるかもかも知れない)不吉なことです。
これは、過去のイスラエルの民にだけ与えられるものではありません。
あなたの人生にも、あるはずです。
もっと言えば、あなたの人生にも、あってもいいのです。
なぜなら、イエスさまの十字架によって、私たちは神様の民、神様の子どもなのですから。
神様の民イスラエルに起こることは、私たちに起こっていいのです。
 
ただ、かないっこない敵に対して、無力感を味わい続けることや、まだ見えない不安に対して、心を煩わせ続けることは、お勧めできません。
それらは、どちらも、無意味なことです。
なぜなら、それらは何も生み出さないからです。
そして、それ以上に、何にも勝る神様が私たちの土台だから、私たちには必要ないのです。
 
もし、私たち自身の努力や能力が土台であったり、地位や財力が土台であったりするなら、かなわない敵にはかなわないままです。
上には上がいるからです。
だから、見えない不安は越えようがありません。
努力や能力、地位や財力は、根源的な悪いものではありません。
むしろ、よいものと言っていいでしょう。
ですから、上手に使って生きていきたいし、のばしたいものです。
でも、それらは、あなたを支える土台にはなれません。
あなたはもっともっと、価値の高いものだからです。
 
キリスト者は、小手先の行動を変える者ではありません。
土台を代える者なのです。
確かな土台をあなたの人生にすえましょう。
そのとき、神様はあなたの王となり、あなたは王子・王女として生きることができます。
越えられない壁も、見えない不安も、もうあなたを捕えることはできません。
そう、ハレルヤの人生が始まるのです。
 
確かな土台の上に、あなたの人生が立ちますように。



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