48   永遠のいのちのことば(話そう49 2007.09.22)
イエスさまと話そう49
『永遠のいのちのことば』 ヨハネ 6:60-71
 
サンパウロ・ゴスペルハウスでは、毎週の礼拝で聖餐をしています。
今週の聖書箇所は、その聖餐で読む聖書箇所(6:53-58)の続きです。
子どもたちも聖餐をとても楽しみにしていて、その箇所を暗唱できてしてしまうほどです。
イエスさまの体がまことの食物で、イエスさまの血がまことの飲み物という、愛の約束、いのちの約束です。
とてもすてきな永遠の約束をいただける箇所なのです。
 
このイエスさまの言葉を聞いた弟子たちはどうしたでしょうか。
「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」(60節)
弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。(66節)
彼らのうちの多くの人たちは、信じることができず、受け入れることができず、去って行ったのです。
 
さて、日本でのクリスチャンの平均寿命をご存知ですか。
ここでの寿命は、洗礼を受けてから教会に来なくなるまでの期間のことです。
聞くところによると、クリスチャンの寿命は3年に満たないというのです。
洗礼を受けて3年たつ前に、教会に来なくなってしまうというのです。
人のことばに躓き、教会の扱いに躓き、去って行くのです。
喜んで決心し洗礼を受けてから、たったの3年です。
 
なぜ、こんなに短い期間で去っていくのでしょうか。
私は、教会の指導者たちにも、その人自身にも要因があると思います。
それは、「中心にイエスさまの十字架がないから」です。
また「イエスさまの十字架への渇望がないから」です。
自分自身に絶望していないという言い方もできるでしょう。
「罪あるあなたのためにイエスさまは十字架にかかり、あなたは救われ、神様に愛されている」という、単純な神様の愛が忘れられてしまうとだと思うのです。
 
洗礼を受ける前には、こういう単純な愛が語られています。
そして、自分自身への誇りを脱ぎ捨てて、洗礼を受けたのです。
ところが、いつの間にか、自分を誇り、何かができると勘違いしてしまうようです。
また、十字架による救い以上の関心事があるからです。
十字架の救い以上の喜びがあるからです。
2000年前でいえば、ローマの圧政からの解放がそれにあたるでしょう。
また現代では、教会管理や奉仕活動などが、十字架の救い以上の関心事になってしまっているのです。
指導者にも、その人自身にも、「イエスさまの十字架の愛はわたしのため」という自覚が、足りないのです。
 
ところが、ペテロは違いました。
彼は、自分の罪・汚れを知っていました。
そして、ペテロの汚れや醜さや傲慢さを知った上で、選び、召してくれたイエスさまがそこにいたのです。(ルカ5:1-11参照)
ペテロを赦し、愛してくれたイエスさまがそこにいたのです。
出会いからここまで、イエスさまはずっと一緒にいて、ペテロは愛されていたのです。
だから彼には、他によるべきものがなく、行くべきところがなく、誇るべきものがないのです。
「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」(68節)
彼はすべてを理解できたわけではありません。
しかし彼は、永遠のいのちのことばと信じて、イエスさまの言葉を受け取ったのです。
 
私たちもペテロのように生きられます。
永遠のいのちのことばは、他人事ではないのです。
あなた自身の醜さ・弱さ・汚れを直視しましょう。
イエスさまの十字架の救い以外に絶望しましょう。
そのとき、永遠のいのちのことばは、まさに永遠のいのちのことばとして、あなたの人生の中で光を放つのです。
 
私は今、ポルトガル語の発音を矯正するために教室に通っています。
その週に習ったことを忘れないために、道を歩いているときも発音の練習をしながらです。
まわりの人たちにとっては、きっと不気味な日本人でしょう。
でも、いつもそのことばと一緒にいることで、発音を手に入れようとしているのです。
 
あなたの人生に、あなたの生活に、聖書のことば、神様の愛のことばを迎えましょう。
いつもそのことばと一緒にいましょう。
すべてのものが力を失っても、廃れても、滅びても、この永遠の愛のことばは、滅びることがないのです。
揺るがない神様の愛のことば、永遠のいのちのことばなのです。
これは、おまじないのような、形だけのスローガンのようなものではありません。
あなたのための永遠のいのちの源・愛の源として、しっかりと握って生きていきましょう。
 
パウロは、聖書の中にこう記しています。
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。(1コリント2:2)
この秘訣を得たとき、ただの言葉が永遠のいのちのことばとして生きてくるのです。
それは、ペテロやパウロにだけ起こることではありません。
あなたに起こる、永遠のいのちのことばの奇蹟なのです。
神様に期待しましょう!
 
 
御言葉を開きましょう。
十字架を通して、御言葉を読みましょう。
十字架を通して、あなたの人生に御言葉を受け入れましょう。
あなたのための愛のことばが、あなたのための永遠のいのちのことばが、今、あなたの人生に、輝き始めるのです。
そう、奇蹟の始まりです。



| 前週へ | 年間目次 | 次週へ |


ホーム 集会案内 伝道師紹介 Message 2008 御言葉の旅 歴史(年表) リンク集 Message 2007 Message 2006 Message 2005
Message 2004


gospelhouse@church.ne.jpメールはこちらまで。