50   詩篇 第81篇 (詩篇に楽しもう21 2007.10.06)
詩篇に楽しもう 21
『詩篇 第81篇』 詩篇 第81篇
 
この詩篇の冒頭にある「ギテト」とは、70人訳では「ぶどうしぼりの歌」と書かれています。
また、ペリシテ人の町・ガテに由来する楽器かメロディーという説もあります。
 
この詩篇の中心は、神様への信頼の勧めです。
なぜなら、神様は信頼し、ゆだねるのに、十分な方だからです。
彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやった。(6節)
あなたは苦しみのときに、呼び求め、わたしは、あなたを助け出した。(7節)
実に神様は、いつもいつも私たちを支え、助けてくださる方なのです。
 
メリバの水のほとりで、あなたをためした。(7節)
メリバでの出来事は、出エジプト記の17章に書かれています。
荒野での生活の中で、水がなく渇きに苦しめられている民のことが書かれています。
民の不信仰に対する神様の裁きや試練というよりも、ここでは、民の不信仰に対してでさえ愛をもって支える神様があらわされているのです。
 
そんな不従順で、不信仰で、あてにならない人間に対しての、神様の語りかけが次の言葉なのです。
「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」(10節)
 
生まれたばかりのツバメのヒナは、当たり前のことですが、自分でえさをとることができません。
彼らは、巣の中で親鳥を待っていて、親鳥が帰ってきたら、精いっぱい口を開くのです。
それは、えさを食べて、強く大きく成長するためです。
彼らは自分では何もできません。
ただ待っているだけです。
親鳥を信じて、精いっぱいの大きな口で、待ちきるのです。
そして親鳥たちは、自らのいのちを削ってでも、その信頼に答えます。
 
人間関係や家族関係が希薄といわれる現代、もう一度見直したい愛の関係がここにはあります。
自然を通して神様が教えてくれる、神様の愛がここにはあります。
このヒナの姿こそ、神様の愛のまえに人間のあるべき姿なのです。
信仰とは、「待つこと!」です。
 
しかしわが民は、わたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに従わなかった。(11節)
口を開けないヒナには、親鳥はえさを与えることができません。
自分の食べる分を減らしてまで集めてきたえさ、自ら削ったいのちを与えられないのです。
これは、とても残念なことでしょう。
 
神様も、残念がっています。
「ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。
わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。」(13-14節)
神様の無念が伝わってきます。
原因は、・・・人間の愚かさです。
彼らは、神様に選ばれたイスラエルの民でした。
そして、出エジプトにおいての神様の大きな力(奇蹟)の目撃者でした。
それでも神様を裏切ってしまうのが、人間の醜さであり、弱さなのです。
 
そしてそれは、その当時の彼らだけの弱さ・醜さではありません。
私たちも同じように、不完全で、弱く醜い存在なのです。
 
そんな私たち人間に対しての、神様の取り扱いです。
しかし主は、最良の小麦をイスラエルに食べさせるのです。
「わたしは岩の上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう。」(16節)
神様は、決して私たちを見捨てないのです。
私たちは、まだ、大きな口をあいていていいのです。
神様は、私たちの人生を、最高のもので満たしてくれます。
そう、最良の小麦と蜜は、私たちのものなのです。
 
 
鳥のヒナのように、神様に向かって一生懸命に口を大きくあけましょう。
神様は、あなたを満ち足らせてくれます。
イエスさまの十字架によって、あなたは神様の子どもなのです。
神様の翼の下で、しっかりと愛を味わいましょう。
神様のあたたかい懐は、あなたのための愛のシェルターです。
神様に愛で満たされ、喜びで満たされ、ハレルヤの人生を歩みましょう。
 



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