あなたへのラブレター 21 
『愛しています。喜んでいます。』 ヨハネの第2の手紙 
  
ヨハネの手紙(第1〜第3)は、異端との戦いが中心的な主題です。 
端的にというと、「イエスさまは肉体を持っていなかった」という異端です。 
それに対して、確かに見て、聞いて、触って、確認した証人であるヨハネの訴えが、ヨハネの3つの手紙なのです。 
年とったヨハネの訴え、悲願ともいえるものです。 
  
彼は、神様の愛、いのちがけのイエスさまの十字架の愛から、誰もこぼれて欲しくないのです。 
「イエスさまの愛、揺らぐとこのない土台を持って、確かな歩みをして欲しい!」 
これが彼の望みです。 
  
第2の手紙は1章しかありません(第3も)。 
全部で13節しかない短い手紙です。 
でも、大人の愛の手紙なのです。 
  
私たちは、自分の子どもや生徒、部下に対して指示や注意を出すとき、また、叱責や激励するとき、どのようにするでしょうか。 
他人である部下に対しては、遠慮して配慮もあるでしょうが、自分の子どもに対しては、ついつい感情的になってしまわないでしょうか。 
いいところをほめることも忘れ、欠点をずばずばと指摘していないでしょうか。 
  
この手紙は、私たちに愛ある勧告・叱責を教えてくれます。 
この手紙の主題は、先ほど言ったように、異端への警告と激励です。 
ところが、手紙の構成は次のようになっています。 
1節から6節は、愛あふれる挨拶。 
7節から11節が、指示と注意と激励。 
12節から13節が、愛あふれる結びのことば。 
実に、13節のうち8節が愛なのです。 
  
もし、まわりの人に対して、このようにできたら、どんなにいい環境が作れることでしょう。 
しかし、できたらいいとわかっていても、できない自分を発見し、へこんでしまうのも事実です。 
  
だからといって、あきらめるというわけにはいきません。 
この愛を、神様から自分自身への愛と受け止めて、自分のものにしましょう。 
そのとき、「できない自分」からの脱出が始まるのです。 
この言葉は、神様からあなたへかけられた言葉であり、これからあなたが話すことになる言葉なのです。 
  
神様がヨハネを通して私たちに送ってくれた言葉を見ていきましょう。 
  
「私はあなたがたをほんとうに愛しています。」(1節) 
これは、相手を操縦するためのテクニックではなく、誠心誠意を持って、心から愛している言葉です。(2節参照) 
その根拠は、神様の愛が、確かに、あなたに注がれているからです。(3節参照) 
  
「あなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます。」(4節) 
あなたが神様の愛の中で幸せになることは、とっても大きな喜びなのです。 
あなたは、私の喜びだ!と、神様はあなたに宣言しているのです 
  
「愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。」(6節) 
あなたへの命令は、わたし(神様)の愛の中にいることです。 
神様は、「私に愛され、祝福されなさい。」という命令を、私たちにくださったのです。 
「愛と祝福の中で幸せに生きて欲しい」これが、神様の本音です。 
だから、これ以降に続く叱責や勧告も、大胆にできるのです。 
  
繰り返しになりますが、これらは、神様から私たちに語られたというだけの言葉ではありません。 
これからあなたが話すことになる言葉、話していい言葉なのです。 
「ほんとうに愛しています。」 
「非常に喜んでいます。あなたは私の喜びです。」 
「私の愛のうちを歩みなさい。」 
  
しかも、「言えたらいいなぁ」と、心の中で思うだけではないのです。 
「あなたがたのところに行って、顔を合わせて語りたいと思います。私たちの喜びが全きものとなるためにです。」(12節) 
神様は、顔を合わせて、あなたにはっきりと伝えたいのです。 
それは、一緒に喜びたいからです。 
  
私たちはまず、しっかりと神様の声を聞きましょう。 
そして次に、愛する人に面と向かって言ってみましょう。 
それは、あなたたちの喜びが、完全なものとなるためです。 
喜びにあふれた、新しい人間関係を始めるためです。 
愛という強い絆でつながれた、新しい神様との関係を始めるためです。 
確かなイエスさまの十字架の愛が、あなたの人生に奇蹟を起こします。 
  
神様は、あなたを愛しています。 
だから、あなたは人を愛せます。 
神様は、あなたを喜んでいます。 
だから、あなたは人を喜べます。 
神様は、あなたに面と向かって愛と喜びを伝えたいのです。 
しっかりと受け取って、喜びあふれる新しい人生を歩んでいきましょう。 
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