55   わたしは新しいことをする(御言葉の旅準備(2) 2007.11.10第1礼拝)
御言葉の旅(第2期:403) 準備礼拝(2)
『わたしは新しいことをする』 イザヤ書 43:16-21
 
イスラエルの民が、神様と一緒にいるという実感を一番持っていた時代は、出エジプトのときでしょう。
そのため、出エジプトの出来事は、聖書のほかの箇所に何度も引用されています。
今週の聖書箇所も、そのうちの一つです。
 
約束の地・カナンへイスラエルの民を送るために、神様はたくさんの大きな業をしました。
海を分けたり、岩から水を出したり、毎日マナを降らせたりetc.と、イスラエルの民は、神様の力を「これでもか」と見せ付けられてきました。
毎日このような奇蹟を目の当たりにしたら、神様がいるかいないかなどという議論は成立しないでしょう。
それほど確かな神様の臨在だったのです。
 
そして今、宗教的にも社会的にも行き詰っているイスラエルの民に、神様の声がかかったのです。
「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。」(19節)
行き詰った民に、神様が新しいことをなすというのです。
 
その直前で、神様はこう言っています。
「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。」(18節)
これは少しわかりにくいですね。
現代訳聖書では、この箇所を次のように訳しています。
「出エジプトの時の出来事など、これからする事と比べたら問題にならない。」
出エジプトといったら、奇蹟のオンパレードです。
それ以上のそんなすごいことが、起こるのでしょうか?
心配御無用、神様が起こると言ったら、起こるのです。
 
出エジプトは、エジプトで奴隷になっていた民の、約束の地カナンへの旅です。
それは、アブラハムに約束された、約束の地の回復でした。
では、新しいこととは何でしょう。
それは、約束の神様の国への旅です。
アダムに与えられていた、神様との愛の交わりの地の回復なのです。
罪の奴隷になっている人間に対して、神様の解放の奇蹟なのです。
 
出エジプトよりも大きな奇蹟に与えられたのは、マナよりもすてきなパンです。
マナの代わりに、生きた永遠のパン・イエスさまが与えられました。
マナを民に送っても、神様は痛くも痒くもありません。
しかし、イエスさまを送るのには、神様はとてつもなく大きな痛みをともないました。
愛するひとり子を、十字架で殺さなくてはならなかったのですから。
これだけでも、出エジプトよりもずっと大きな出来事ということがわかります。
 
神様は、イスラエルの民を雛形として選びました。
彼らは、全世界の雛形です。
あなたはもちろん全世界の中にいます。
そう、神様の言う「新しいこと」は、あなたの人生に起こるのです。
野の獣やジャッカルやダチョウでさえも、その奇蹟を賛美できるのです。
あなたが外れる理由はありません。
 
聖書は、その約束の確かな証拠です。
愛の保証書です。
読み進めていくなら、この約束が「現実」、「確かなもの」とわかるでしょう。
 
これから始まる御言葉の旅で、聖書の約束をあなたものにしましょう。
「そうなったらいいだろうなぁ。」から「うれしいなぁ。」へ。
「それは昔のはなし・他人のはなし」から「わたしのはなし」へ。
 
奇蹟を目の当たりにした出エジプトの民は、特別な人たちではありませんでした。
彼らの特別な力が、奇蹟を起こしたわけでも、誘発したわけではありません。
ただ、神様と共に旅をしただけです。
そこに働いたのは、民の力ではなく、ただ神様の力なのです。
 
あなたの人生には、それ以上の奇蹟が待っています。
それは、あなたの力ではなく、神様の力です。
「新しいこと」それは、神様からの一方的な愛のプレゼントなのです!
 
これから始まる旅に、期待しましょう。
神様といっしょに旅立ちましょう。
あなたのその一歩が、新しいこと、神様の愛の奇蹟への第一歩なのです。



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