御言葉の旅(第2期:403) 準備礼拝(3)
『私の旅の家では』 詩篇 119:49-56
詩篇第119篇は、聖書の中でもっとも長い章です。
この詩は、8節ずつのアルファベット詩で、ヘブル語のアルファベットは22個ありますから、8×22で176節になります。
今日の聖書箇所は、第7番目、アルファベットで言うなら、ザインの箇所です。
この箇所の主題は、苦しみと悩みの中(逆境の中)で、神様の言葉が慰めと力と希望と命であるという告白です。
人生の中に、逆境はあります。
「こんなに・・・・なのに、どうして?」
「神も仏もあるものか!」
こんなことは、日常よく起こる事柄です。
悪人が栄え(るように見え)て、正しく生きることがバカらしくなることもあります。
自分の人生に、自信をなくすことも、失望することすらもあるのです。
因果応報などという言葉では済まされないことが、世の中にはたくさんあるのです。
聖書に登場する多くの人物も、逆境に苦しみました。
ダビデも、ヨセフも、ダニエルも、ヨブも、パウロやペテロも・・・・。
ほとんどの正しい人が、逆境に苦しんでいます。
もちろん、彼らが悪かったから苦しんだというわけではありません。
なにより、何も悪いところのないイエスさまも、迫害や逆境にあいました。
そんな逆境に対して、詩篇作者は語ります。
「どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。
あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。
これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。」(49-50節)
「主よ。私は、あなたのとこしえからの定めを思い出し、慰めを得ました。」(52節)
神様の言葉、御言葉は慰めであり、いのちを与えるものです。
私たちを裁いて、因果応報と重荷を背負わせるものではないのです。
そう、たとえば閻魔帳のように聖書を考えてはいけません。
閻魔帳は罪を暴いて罰するものですが、聖書は私たちを生かすものです。
さあ、色鉛筆を持って、御言葉の旅に出ましょう。
聖書の中で、慰め、励まし、いのち、救いの言葉を、たくさん集めましょう。
いっぱい線を引きましょう。
この旅は、宝物探しの旅でもあるのです。
こういうことを言うと、「そんな偏った聖書の読み方ではよくないのでは?」と言う方がいます。
いいえ、偏ってていいのです。
なぜなら、聖書は偏ってるからです。
何の罪もないイエスさまが、私たちの身代りで死んで、その贖いのゆえに私たちが生きる。
これほど大きな偏りはありません。
これほど大きな愛はありません。
私たちは、いっぱい愛を受ければいいのです。
愛をいっぱい受けたとき、神様からの戒めや教育は(必要なら)成果を出します。
「あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。」(54節)
この歌は、悲しみの歌ではなく、喜びの歌です。
神様の言葉が、逆境の中でも、喜びとしてほとばしり出る人生です。
いのちの言葉が、あなたを生かす人生です。
そんなすてきな言葉、宝物の言葉は、聖書の中にいっぱい詰まっています。
御言葉の旅は、あなたの人生の宝物探しの旅でもあるのです。
希望をいっぱい持って、色鉛筆も持って、さあ、旅に出かけましょう!
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