御言葉の旅(第2期:403) 出発礼拝(1) 
『何か足りない物が』 ルカ 22:35-38 
  
初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1) 
世界は、このときに始まりました。 
では、世界の始まりのこの時から現在に至るまで、もっとも異常な3日間はいつでしょう? 
もっとも特別な3日間といってもいいでしょう。 
あなたはどの3日間を選びますか。 
  
正解は(私はそう思うのですが)、2000年前の、十字架の金曜日から復活の日曜日までの3日間です。 
  
神様は完全な愛の方です。 
何にも依存せずに、自己完結できる方です。 
一人でありながら3つの人格(三位一体)を持ち、互いに愛し合いされる関係を、永遠に保ってきた方です。 
これは、永遠の始まりから終りのときにいたるまで、永遠の愛の関係です。 
  
その永遠の関係が崩れてしまったのが、この3日間です。 
イエスさまが、神様から呪われました。 
永遠の愛の関係が、崩壊したのです。 
イエスさまは、すべての人の罪の身代りになって、すべての人の呪いを受けて、身代りに呪われ、罰せられたのです。 
すべての人、すなわち「あなた」のために、永遠の愛の関係が壊されたのです。 
  
このときのために、イエスさまは言われました。 
「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。 
あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」(36-37節) 
  
イエスさまのいない3日間、イエスさまが神様の呪いを受けている3日間、イエスさまの愛が届かない3日間、もっとも異常な3日間のために、イエスさまは言ったのです。 
「自分の身を自分で守れ、自分の食べ物を自分で取れ。」 
愛するがゆえの予告です。 
  
でもこの3日間は、2000年前に終わりました。 
その前もその後も、イエスさまの愛は健在です。 
「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」(35節) 
これは、70人の弟子を派遣したときのはなしです。 
その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。(ルカ10:1) 
イエスさまは、弟子たちには何も持たせないで行かせましたが、足りない物は、「いいえ。何もありませんでした。」(35節) 
  
これが正常な私たちの人生です。 
正常なイエスさま・神様と私たちとの関係です。 
イエスさまの愛の旅程の中にいるとき、何も足りない物はないのです。 
  
これから始まる御言葉の旅、形式上は一人で読み進める旅です。 
不安もあるかも知れません。 
解き明かしは? 継続する力は? 時間は? どう読んだら? 
でも大丈夫です。 
イエスさまはこの旅で共にいます。 
異常な3日間は終わったのですから。 
  
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20) 
これがイエスさまの地上での最後の言葉です。 
イエスさまと共に、見えないけど共にいる旅の仲間と共に、出発しましょう。 
あなたのこの旅に、足りない物は、何もないのです! 
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