2007年アドベント 01
『あなたの光が』 イザヤ書 第60章
今週から、アドベントになります。
待降節とも言い、イエスさまの誕生を待ち望む期間です。
ゴスペルハウスの礼拝でも、クリスマスに向けて、アドベントのメッセージをしていきたいと思います。
この聖書箇所には、「栄光と救いの到来」という表題がついています。(新共同訳・現代訳)
直接的には、エルサレムの復興について、イスラエル人に向けての喜びの知らせです。
しかし、イスラエルは全世界の雛形で、私たち個人の人生の雛形でもあります。
だから、この箇所は私たちに向けて語られたものでもあるのです。
「ああ、昔の話ね」と言って、傍観者にならないで、当事者として読んでいきましょう。
「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」(1節)
実際には、エルサレムの復興はまだ起こっていません。
しかし、ここでは未到達の未来を、すでに受け取っているように書かれています。
それは、確かに来ることだからです。
ですから、まだ受けていないけれども、すでに受け取ったと信じていいのです。
私は、ヘブル語もアラム語もできませんが、原文が理解できる人ならば、この部分だけで感動できるでしょうね。
これが「希望の信仰」です。
「まだ足りない。まだ足りない。」と生きるのではなく、「もうすでに受けている。」として生きるのです。
よく言われている、「領収書の祈り」も同じことですね。
では、何を受け取ったらいいんでしょうか。
それは、この章全部です。
イザヤ書第60章は、全部で22節です。
2節から22節までは、それぞれが神様の約束なのです。
8節はそうもいえないので、2節から始まって、20個の約束がここに書かれているのです。
そのひとつひとつは、私たちに希望を与えるものです。
私たちは、世の中の不条理に悩むこともあるでしょう。
しかし、神様はこう言います。
「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。」(2節)
また、自分が正当に評価されなかったり、自己嫌悪に陥ることもあるでしょう。
私も、このようなことで落ち込むことがあります。
「あなたは捨てられ、憎まれ、通り過ぎる人もなかったが、わたしはあなたを永遠の誇り、代々の喜びの町に変える。」(15節)
しかし、神様はこのような者を、「誇り」「喜び」と言ってくれるのです。
「あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。
主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。」(20節)
そして、神様はどんなことがあっても、私たちを捨てることがないのです。
しかもそれは、私たちの信仰の強さや純粋さによるのではありません。
神様が一方的な愛で、それをなしてくれるのです。
「最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。」(22節)
イスラエルの民は、かたくなで、不信仰で、不従順でした。
しかし、神様の愛は、彼らから離れることも、すたることもありませんでした。
私たちへの神様の愛も同じです。
私たちが弱くても不信仰でも不十分でも、そんなことは関係ないのです。
大切なことは、「神様の愛は無限」ということです。
その愛の証拠がイエスさまです。
そして、このまことの光であるイエスさまを待ち望む期間が、アドベントなのです。
あなたの光、まことの光が、今やって来ます。
そして、あなたの上で輝くのです。
この希望は、当てがはずれることがありません。
輝きが失われることもありません。
あなたの永遠の光が来るのです。
アドベントです。
あなたの上に輝くイエスさまの光を受けましょう。
いえ、もう、受けているとして、歩んでいきましょう。
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