アドベント2007 03 
『光を浴びて』 ルカ 1:26-38 
  
今日の聖書箇所は、受胎告知で有名な場面です。 
実は昨年のアドベントにも、今週と全く同じ箇所からメッセージをしています。 
メッセージ題は、「おことばどおりに」でした。 
「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(38節) 
私たちがこの言葉を受け入れるとき、そのとき、奇蹟の扉が開くのです。 
従順が軌跡の鍵という主題のメッセージでした。 
  
今年は、その従順の前のステージを見ていきたいと思います。 
そのように言えるためにはどうしたらいいのか? 
マリヤのような従順を産むものはなにか? 
そのキーワードは、昨年の箇所の直前です。 
「ほんとうに、私は主のはしためです。」(38節) 
ここには謙遜があります。 
本物の謙遜があるのです。 
  
日本人は、謙遜が大好きです。 
そしてまた、クリスチャンも謙遜が大好きで、謙遜を求めている人も多いです。 
しかし、求めるあまり、一生懸命に謙遜を演じてしまう場合もあるでしょう。 
そんなニセモノの謙遜を身につけてしまう人も少なくはありません。 
それは、苦しいことです。 
しかも、そんな苦しい思いをしたにもかかわらず、ニセモノの謙遜は、傲慢をも生み出してしまうのです。 
それは、悲劇です。 
謙遜は、あなたの努力でできるものではないのです。 
  
本物の謙遜を身につけるためには、どうしたらいいんでしょう。 
それは、圧倒的な光を浴びることです。 
圧倒的な光を浴びたとき、私たちは自分の心のすべてを見据えなくてはならなくなります。 
レントゲンが体内の様子を映し出すように、私たちの心が明らかにされたとき、謙遜は本物になるのです。 
神様の徹底的な愛、赦し、いのちがけの決心、そのすべてが「私」のためであったとわかるのです。 
  
私たちの目の前に、ふさわしくない自分が浮き彫りになります。 
「だけど、みんなやってることだもん」と、逃げることもできます。 
他の人のあらを捜して、自分の罪に向き合わないという方法です。 
しかし、これでは前進はできません。 
前に進むには、自分のすべてを見据えた上での謙遜という方法しかないのです。 
  
マリヤは、ガブリエルの圧倒的な光の前に立ち(もちろん、この光は神様のものなのですが)、本物の謙遜を受けました。 
奇蹟への鍵・謙遜は、神様からのプレゼントなのです。 
努力で手に入れる謙遜は、人工ダイヤと同じです。 
ダイヤはダイヤでも、本物のダイヤとは全く価値が違うのです。 
あなたは、本物の最高級ダイヤであっていいのです。 
  
あなたを照らす光として、イエスさまは来ました。 
そのイエスさまを迎えるのがクリスマスです。 
それを待ち望むのがアドベントです。 
光を浴びて、徹底的に自分に絶望しましょう。 
そして、本物の謙遜を身につけましょう。 
そのとき、奇蹟の扉は、あなたの前に開かれていくのです。 
  
あなたに愛のプレゼントを与える光、イエスさまの誕生を、待ち望みましょう! 
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