クリスマス2007 01
『あなたへのメリークリスマス(1)---歯ぎしりする悔しさの中に---』 ルカ 2:1-20
クリスマスおめでとうございます!
今年のクリスマスでは、今日(22日)の第1&2礼拝、25日のクリスマス集会と、このルカの箇所から3つのメッセージをお届けしたいと思います。
羊飼いは、悔しい思いをしていました。
彼らは、飼っている羊を愛していました。
彼らを世話し、ときには彼らを守るためにいのちがけで戦うことすらありました。
それぞれの羊に名前をつけて、きちんと識別し、愛し、守っていたのです。
しかし、彼らが丹精込めて育てた羊は、1歳になると神様に捧げられてしまうのです。
「傷のない1歳の雄羊」は、過ぎ越しの祭のいけにえでもあり、全焼のいけにえでもあるのです。
大事に育てれば育てるほど、いのちがけで守れば守るほど、その小羊は殺されてしまうのです。
名前をつけて飼っている動物は「ペット」で、名前をつけないで飼っている動物は「家畜」です。
私たちは家畜の肉を食べますが、ペットの死はつらいものです。
羊飼いたちは、名前をつけて大切に育てた羊が殺されていくことを、受け止めなくてはならない立場だったのです。
それは苦しいことだったでしょう。
歯ぎしりするほどの悔しさだったでしょう。
彼らにも希望がありました。
それは、救い主が来て、すべての人の罪を救ってくれることです。
そうしたら、もう、羊はいけにえにならなくていいのです。
愛する小羊を、殺されなくてもよいのです。
そんな彼らに、御使いがすばらしい知らせを持ってきました。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。」(11節)
私たちの救い主イエスさまは、こんな歯ぎしりするような悔しさの中にきてくれたのです!
先々週のこと、我が家にちょっとした事件がありました。
長男はれる(7歳)と次男タリタ(3歳)が、学校から泣きながら帰ってきました。
聞くと、タリタがはれるのおなかに噛み付いて、血が出たというのです。
先生たち(妻も含めて)も大騒ぎになり、はれるは手当てされ、タリタは叱られて帰ってきました。
幸い、傷は深いものではなかったのですが、衝撃的な出来事でした。
私は、はれるのためにお祈りした後に、タリタを呼びました。
彼の姿は、みんなに叱られてボロボロのように見えました。
私は、右手の人差し指を彼に出しました。
「噛んでごらん。思いっきり噛んでいいよ。」
彼は、(たぶん)思いっきりかみました。
私は、その痛みに耐えながら、「タリタは悔しかったんだろうな」と思いました。
「タリタ、悔しかったの・・」
彼はしぼり出すように言いました。
「これからは、もう誰も噛まなくていいよ。噛みたいときはパパの手を噛んでいいし、叩きたいときはパパの手を叩いていいから。」
それ以来、彼は時々私の指を噛みに来ます。
しかし、それは思いっきりではなく、愛情をこめて噛みに来るのです。
悔しいのは、羊飼いだけではありません。
もちろん、タリタだけでもありません。
すべての人が悔しい思いをしているはずです。
頻度はそれぞれ違うでしょうが、歯ぎしりするほどの悔しさを私たちは抱えているのです。
人間関係、仕事、子育て、勉強、状況や自分自身について、何も悔しさがないなどという人はいないでしょう。
そんなあなたのために、救い主が来たのです。
歯ぎしりするような、あなたの悔しさの中に、イエスさまは来たのです。
そしてあなたに言います。
「思いっきり噛んでいいよ」
イエスさまはあなたの悔しさを責めません。
あなたの悔しさを、思いっきりイエスさまにぶつけましょう。
だって、あなたのためのクリスマスなんですから。
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