あなたへのラブレター 16 
『霊的な礼拝』 
そういうわけですから、兄弟たち。 
私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。 
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。 
それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 
(ローマ人への手紙 12:1) 
  
パウロは、このローマ人への手紙の第1章から第11章で、キリスト教の教理を説いています。 
それは、私たち罪人のために、救い主が十字架にかかって、完全な贖いをしたこと。 
この十字架を、自分自身の救いとして受け入れたなら、誰でもその信仰によって救われること。 
まさに、キリスト教の根幹とも言える内容です。 
それを受けて、第12章以降は、キリスト者の現実の生活を述べていくのです。 
冒頭の「そういうわけ」は、教理と実生活を結ぶ言葉なのです。 
  
この箇所では、「捧げなさい」が、強調されがちです。 
また、そう読み取ってしまいがちです。 
そして、捧げきれない自分の不信仰を、嘆いてしまいがちです。 
しかし、この箇所の主題はそうではありません。 
なぜなら、私たちが本当に捧げるべき捧げ物は、「イエス・キリスト」なのですから。 
この完全な捧げ物によって、あなたがたは救われていると、パウロはすでに言っています。 
  
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物として」 
この部分から、4つの事柄を覚えていただきたいと思います。 
  
1.あなたは、神様に受け入れられている。 
イエスさまの十字架によって、あなたは神様に受け入れられています。 
神様は、決してあなたを見捨てることはないのです。 
私たちは、受け入れられたときに、他の人を受け入れることができます。 
  
2.あなたは、聖い。 
ここでの聖いとは、神様のために取り分けられたという意味です。 
あなたは、神様のために取り分けられたものなのです。 
神様は、他の誰でもない、あなたを選んだのです。 
神様にとって、あなたはとても特別な存在なのです。 
  
3.あなたは、生きている。 
あなたは、神様の愛の中で、イキイキして生きていいのです。 
あなたに与えられた人生は、奴隷のように希望もなく、いやいや従って過ごす人生ではないのです。 
神様があなたに与える人生は、神様の王子として、自由に、イキイキと生きる人生なのです。 
  
4.あなたは、傷がない。 
旧約聖書にはっきりと書いてあるように、供え物・捧げ物は、傷のあるものはゆるされません。 
ですから、あなたは傷がないものなのです。 
私たちは、自分自身を足りないもの、傷ついたものと考え、自分を責めることもしばしばです。 
しかし、神様の目には、あなたは傷のない完全なものなのです。 
そう、イエスさまの十字架の打ち傷は、あなたの傷を全部背負ったのです。 
  
霊的な礼拝とは、この4つのアイデンティティーを持って、私たちが生きることです。 
神様に、生かされることです。 
教会に集って捧げる礼拝もすてきですが、日々の生活を霊的な礼拝にできるのです。 
それは、宗教儀式ではありません。 
イキイキと、のびのびと生きることです。 
愛されて、愛をいっぱい受けて生きることです。 
  
この礼拝は、24時間365日可能です。 
仕事をしているときも、食事をしているときも、散歩しているときもです。 
さあ、あなたの本当の霊的な礼拝を始めましょう。 
  
あなたは、神様に受け入れられています。 
あなたは、神様にとって、とても特別な存在です。 
あなたは、神様の愛の中で、イキイキして生きていいのです。 
十字架の打ち傷は、あなたの傷を全部背負いました。 
さあ、愛の中で、喜びにあふれた生涯を歩みましょう。  
  
あなたの毎日が、素敵な礼拝でありますように。 
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