シリーズ メッセンジャーはイエスさま 15 
『まことの食物、まことの飲み物』 ヨハネ 6:53-58 
  
サンパウロ・ゴスペルハウスでは、第101回礼拝(2005.05.07)から、第一コリント11:23-28の御言葉とともに、毎週の礼拝(土曜礼拝も火曜礼拝も含め)で聖餐を行なってきました。 
今回第144回礼拝からは、今週の聖書箇所、ヨハネ6:53-58の御言葉をも加えて聖餐を執り行うことになります。 
  
私たち人間と神様との関係は、一般的に宗教では次のように考えられるのではないでしょうか。 
神様は聖い方で、ずっと高くにいて、私たちは努力して、聖さを身につけて神様に近づいていく。 
神様に近づくために、私たちはあらゆる努力を惜しんではならない。 
または、自分を押し殺して、神様のために自分の願望を捨てて、神様に受け入れてもらう。 
つまり、神様に受け入れてもらうために、死ぬということです。 
  
しかし、聖書が言う神様と人間の関係はそうではありません。 
イエスさまは言われました。 
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。 
人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」(53節) 
  
これは当時の人たちにとっては衝撃的な言葉でした。 
人の子(つまりイエスさま)の肉を食べることはもちろんですが、それ以上に、その血を飲むというのは大変衝撃的だったのです。 
なぜなら、当時、血は絶対に飲んではいけないものだったからです。 
旧約聖書の申命記12:23にこうあります。 
ただ、血は絶対に食べてはならない。 
血はいのちだからである。 
肉とともにいのちを食べてはならない。 
  
しかし、あえてイエスさまは、御自身の血を飲まなければならないと言ったのです。 
つまり、イエスさまのいのちを飲まなければならないということです。 
イエスさまのいのちを飲まなければ、私たちにいのちはないというのです。 
それは、神様であるイエスさまが、私たちのためにいのちを捨てるという宣言です。 
  
ここに、私たち人間と神様との新しい関係が始まりました。 
私たちが努力して神様に近づくのではありません。 
イエスさまが、私たちのところに下ってきたのです。 
私たちが自分自身を殺し、神様に受け入れてもらうのではありません。 
イエスさまのいのちを私たちが飲み、イエスさまのいのちを私たちの中に生かすのです。 
  
イエスさまは十字架で、ただ死んだのではありません。 
その血は、ただ流されたのではありません。 
それはあなたの中に、いきいきと生きるいのちを与えるためです。 
喜んで、まことのいのちを受けましょう。 
イエスさまのいのちを受けて、あなた自身を生きましょう。 
  
あなたのためにお祈りしています。  
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