10   まことの食物、まことの飲み物 (メッセンジャー15 2006.03.04)
シリーズ メッセンジャーはイエスさま 15
『まことの食物、まことの飲み物』 ヨハネ 6:53-58
 
サンパウロ・ゴスペルハウスでは、第101回礼拝(2005.05.07)から、第一コリント11:23-28の御言葉とともに、毎週の礼拝(土曜礼拝も火曜礼拝も含め)で聖餐を行なってきました。
今回第144回礼拝からは、今週の聖書箇所、ヨハネ6:53-58の御言葉をも加えて聖餐を執り行うことになります。
 
私たち人間と神様との関係は、一般的に宗教では次のように考えられるのではないでしょうか。
神様は聖い方で、ずっと高くにいて、私たちは努力して、聖さを身につけて神様に近づいていく。
神様に近づくために、私たちはあらゆる努力を惜しんではならない。
または、自分を押し殺して、神様のために自分の願望を捨てて、神様に受け入れてもらう。
つまり、神様に受け入れてもらうために、死ぬということです。
 
しかし、聖書が言う神様と人間の関係はそうではありません。
イエスさまは言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」(53節)
 
これは当時の人たちにとっては衝撃的な言葉でした。
人の子(つまりイエスさま)の肉を食べることはもちろんですが、それ以上に、その血を飲むというのは大変衝撃的だったのです。
なぜなら、当時、血は絶対に飲んではいけないものだったからです。
旧約聖書の申命記12:23にこうあります。
ただ、血は絶対に食べてはならない。
血はいのちだからである。
肉とともにいのちを食べてはならない。
 
しかし、あえてイエスさまは、御自身の血を飲まなければならないと言ったのです。
つまり、イエスさまのいのちを飲まなければならないということです。
イエスさまのいのちを飲まなければ、私たちにいのちはないというのです。
それは、神様であるイエスさまが、私たちのためにいのちを捨てるという宣言です。
 
ここに、私たち人間と神様との新しい関係が始まりました。
私たちが努力して神様に近づくのではありません。
イエスさまが、私たちのところに下ってきたのです。
私たちが自分自身を殺し、神様に受け入れてもらうのではありません。
イエスさまのいのちを私たちが飲み、イエスさまのいのちを私たちの中に生かすのです。
 
イエスさまは十字架で、ただ死んだのではありません。
その血は、ただ流されたのではありません。
それはあなたの中に、いきいきと生きるいのちを与えるためです。
喜んで、まことのいのちを受けましょう。
イエスさまのいのちを受けて、あなた自身を生きましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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