12   主のみこころなら (ラブレター02 2006.03.18)
シリーズ あなたへのラブレター 02
『主のみこころなら』 ヤコブ4:13-15
 
私は、超教派(どの教派・教団・教会にも属さない)のキリスト教伝道師です。
そして、サンパウロ・ゴスペルハウスは超教派のキリスト教伝道所です。
そんな私も、宗教改革で有名なルターは大好きです。
ルターの信仰の中心は、「聖書のみ。信仰のみ。恩寵のみ。」です。
そのルターは、今週の聖書箇所であるヤコブの手紙を、まったく評価していません。
聖書から削除すべきとか、役に立たない「藁の書簡」とか評しています。
 
ルターのこの評価の低さは何に由来するのでしょうか。
それは、次の2点に集約されるでしょう。
第1点は、ヤコブの手紙が「行ない重視」である(そう読める)ということです。
第2点は、イエス・キリストに関する記事が少なすぎるということです。
ヤコブの手紙の中では、イエス・キリストという言葉は2回しか出てきません。
そして、「十字架」「復活」については、何の記述もないのです。
それで、ルターはヤコブの手紙を「福音的でない」「絶対的な恩寵に反する」と評価したのです。
そして、ルター以外の人も多くこれに賛同することでしょう。
 
ルター自身、神様の義に苦しんできました。
彼は熱心な修道士であったので、一生懸命「行ない」を追及していたはずです。
しかし、彼の前に立ちはだかっていたのは、罪人を罰する神様の義であったのです。
自分の行ないの限界に立たされ、ルターはもがき苦しんでいました。
このときに、彼は「塔の体験」という体験をしたのです。
そして、神様の義は、罪人を裁く義ではなく、信仰によって罪人を義とする義であることに気がつきました。
また、行ないによってではなく、信仰によってそれが得られることがわかったのです。
 
ですから、行ない重視に読めるヤコブの手紙は、ルターにとって評価が低いのです。
確かに、ヤコブの手紙は行ない重視に読める箇所がたくさんあります。
 
それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。(2:17)
たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。(2:26)
 
しかし、今週の聖書箇所の直前にこのような記述があります。
 
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。
罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。
あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。(4:8-9)
 
ここでは、神に近づくように行ないを要求しています。
その行ないの結果は、「苦しみ」「悲しみ」「憂う」ことです。
しかし、本当に行ない重視の考え方を持っているならば、行いの結果は、喜びであるはずです。
ヤコブはここで、行ないの限界を指し示しているのです。
 
そして彼は続けます。
「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」(4:15)
主のみこころの中で、「生きる」と宣言しているのです。
行ない重視なら、絶望し、苦しみ、悲しみ、沈んでいくべきたましいを、神様は生かすと言っているのです。
 
この世の中で、誰が自分の心臓を、自分自身の意思で動かしているでしょうか。
そんな人は誰もいません。
確かに神様は私たちを生かしているのです。
こんな不完全な私たち一人ひとりを、忘れることなく生かしてくださっているのです。
それは何のためですか? 私たちに何の資格があるのでしょう。
あたしたちには何の資格もありません。
ただ神様の恩寵のみです。
神様の恩寵によって、神様の宝物とされているのです。
 
しかし、罪人のままでは神様の宝物にはなれません。
それを可能にしたのが、イエスさまの十字架においてほかにありません。
イエスさまの身代わりの死によって、私たちの罪は赦され、神様の宝物とされたのです。
不十分さも、神様からの私たちへのプレゼントです。
不十分さゆえに、神様の愛をしっかりと知ることができるのです。
 
「行いによって、行いの限界を知り、信仰によって、恩寵によって、生きる。」
これが、ヤコブの言わんとするところです。
それはまるで、1500年後のルターと同じです。
ヤコブの手紙は、ルターにとって「藁の書簡」ではありません。
行ないに苦しんだルターにとって、慰めと安らぎを与える「黄金の書簡」です。
そしてもちろん、あなたにとっても「黄金の書簡」です。
黄金のラブレターなのです。
 
神様のみこころは、あなたが「生きる」ことです。
あなたの不完全さも、大切な神様からのプレゼントです。
イエスさまの十字架は、あなたのものです。
そしてあなたは、神様の宝物とされています。
神様の愛の中で、赦されて生きましょう。
生かされている喜びに、輝いて生きましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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