16   ペテロの否認 (イースター02 2006.04.08)
イースターに向けて 02
『ペテロの否認』 マタイ 26:30-35,69-75
 
先週のメッセージで、私たちは、イエスさまの十字架の本当の目的を知ることの大切さを学びました。
それは、私たちを愛するがゆえの、いのちがけの愛、すべてをささげる愛の形でした。
今週は、その大きな愛を受け取るための秘訣を学びたいと思います。
イエスさまの十字架の救い、十字架の愛を自分自身のものとする秘訣です。
 
今週の聖書箇所の前半は、十字架前夜のいわゆる「最後の晩餐」の直後です。
ここでイエスさまは、ペテロの否認(弟子たちのつまずき)の予告をします。
そして後半は、イエスさまが逮捕され、大祭司へ連れて行かれたときです。
その大祭司の家の中庭で、ペテロがイエスさまを三度知らないと言ったのです。
 
エルサレム入城から最後の晩餐までの中で、弟子たちはイエスさまの十字架を納得しました。
はっきりと納得したわけではなかったかも知れませんが、拒絶をしたり、たしなめたりすることはなくなったのです。
以前、ペテロは、贖いの死についてイエスさまをたしなめて、こっぴどくしかられたことがあります。(マタイ16:23)
が、今回はそういったこともないのが、彼らが納得していた証拠です。
 
イエスさまは言われました。
「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。」(31節)
ペテロは、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」(33節)と答えました。
また、「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」(34節)と、今度はペテロ個人にイエスさまが言ったときは、
「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」(35節)と答えています。
 
ルカによる福音書の中には、この箇所にイエスさまのもうひとつの言葉が記されています。
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31-32)
それに対して、ペテロは「決してそんなことはない」と答えています。
 
以前ペテロは、イエスさま自身に起こることについてのイエスさまの言葉を否定しました。(マタイ16:23)
そして今回は、ペテロに起こることについてのイエスさまの言葉を2回否定しているのです。
「あなたがたはみな・・」に対して、「私は決して・・」と答え、
「あなたは三度・・」には、「決して申しません」と答えたのです。
ペテロは、自分自身の誠実さを知っていました。
そして、勇気や強さを知っていました。
そして、自分自身の誠実さや強さ、力を信じたのです。
 
イエスさまの予告の内容は、弟子たちの裏切りを意味していました。
ペテロは、「とんでもない!少なくとも私は!」と思ったことでしょう。
そして、次に起きたのは、イエスさまの逮捕です。
弟子たちはどうしたでしょう。
聖書はあっさりこう書いています。
そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。(マタイ26:56)
 
ペテロも逃げました。
しかし、彼は強く、勇敢で、誠実でした。
彼は、自分の強さを思い、信じ、自分自身の言葉どおり、イエスさまに従って行ったのです。
彼は大祭司の家の中庭まで入って行ったのです。
 
このとき、大祭司の家には12弟子のうちでは2人がいました。
ペテロとヨハネです。
ヨハネは大祭司と親類ということで、コネで安心してそこにいました。
ですが、ペテロは自分の強さと勇気と誠実さでそこにいたのです。
イエスさまは死刑になるかもしれない。
そして、共犯者として捕まるかもしれないという恐怖を乗り越えて、彼はそこにいたのです。
 
ですから、ペテロはここで三度、「イエスさまを知らない」と言いますが、私たちはこのことについて非難する権利はありません。
なぜなら、その中庭にいること自体がすごいことなのです。
いのちがけと言ってよいことなのです。
また、三度言ったということは、一度や二度声をかけられただけでは、中庭から逃げ出していないことを示しているのです。
それは、ペテロの強さ、誠実さの証明ではないでしょうか。
しかし、今回の試練は、彼の力の限界を超え、彼の誠実さはもろくも崩れたのです。
 
イエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。(75節)
 
低い木から落ちても痛くありませんが、高い木から落ちると痛いものです。
場合によっては大怪我をしてしまうでしょう。
ペテロの力と誠実さのレベルが高かったので、限界を超えてしまったときの彼の衝撃も大きかったのです。
彼の涙は、自分自身の無力と不誠実への絶望の涙でした。
自分自身の弱さを思い知り、激しく泣いたのです。
 
しかし、ただ自分自身を見つめて絶望していただけではありませんでした。
彼は、“イエスさまの言われた言葉を思い出して”泣いたのです。
イエスさまは、ペテロが三度否認することを予告しました。
それは、ペテロの誠実さと強さを示すものでした。
イエスさまは、ペテロの誠実さも強さも知っていたのです。
そして、今回の試練がそれを超えるほどに強力なことも知っていたのです。
 
「ペテロよ。私はお前の誠実さも強さも知っているよ。
お前が私を全身全霊を込めて愛していることも。
今回、お前は自分自身の限界を知るだろう。
でも、それでいいんだ。
これからお前は、自分自身の力ではなく、もっと大きな支えを得るんだから。
それで、まわりの人たちを支えておくれ。」
イエスさまはペテロに、こう言ったんではないでしょうか。
 
ペテロは、自分自身の弱さを知り、弱さを受け止めていたイエスさまを知り、その支えと守り(愛)を知ったのです。
これが鍵です!
自分の強さを誇らず、弱さも誇らない。
もちろん、弱さは知るべきです。
しかし、弱さばかりに目を向けて誇っていたら、ひねくれた謙遜(実はこれは高慢)に浸ってしまいます。
ですから、私たちは自分の弱さの中にあらわれる神様の力・愛を誇り、喜びましょう。
弱さを認め、神様の愛を喜んで受け、喜んで与える。
これが、イエスさまの十字架の救いを自分自身のものとするための秘訣です。
 
あなたの弱さを、イエスさまは責めません。
あなたの弱さを受け止めましょう。
イエスさまの愛の言葉は、そこに実を結びます。
自分の力だけで、自分を支えようとしなくていいのです。
あなたの弱さは、イエスさまの愛と力をあらわす舞台なのですから。
 
あなたのためにお祈りしています。



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