イースターに向けて 04 
『からっぽの墓』 ヨハネ 20:1-10 
  
第1礼拝では、イエスさまの十字架をお話しました。 
今回は、いよいよ復活です。 
一番はじめのイースターを聖書から見てみましょう。 
  
十字架から3日目の朝、日曜日の朝のことです。 
イエスさまをきちんと葬るために、女たちが墓に行きました。 
十字架から下ろされた時は、時間がなくて、きちんとできなかったのです。 
その日の夕方から安息日が始まり、土曜の夕方までが安息日で、何もすることができませんでした。 
それで彼女たちは3日目の朝に出かけたのです。 
  
ところが、墓はからっぽでした。 
女たちの知らせを受けて、ペテロとヨハネも墓に駆けつけたんですが、墓の中には布しかありませんでした。 
イエスさまがよみがえったのです! 
  
イエスさまはこれまでに、死んだ人を生き返らせたことがありました。 
ヤイロの娘(マルコ5:21-43)、ナインのやもめの息子(ルカ7:11-16)、ラザロ(ヨハ11:1-44)です。 
彼らはどの場合も、そのまま生き返りました。 
この中で、イエスさまと同じように墓の中から出てきたのはラザロです。 
このとき、ラザロは布に包まれたまま墓から出てきました。 
  
しかし、イエスさまを包んでいた亜麻布は、そのままになっていました。 
亜麻布、それは、第1礼拝のメッセージでお伝えしたように、私たちの痛みを包んで葬っていたものです。 
その亜麻布が、そのまま、墓の中だったのです。 
イエスさまは、私たちの痛みをすべて背負い、それを墓の中に葬ったのです。 
そして、御自身は、墓の中から、死の中からよみがえったのです。 
それは、痛み悲しみに勝利し、死に勝利したイエスさまをあらわしています。 
  
そして、私たちもイエスさまと同じようにされるというのが、聖書の約束です。 
  
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ3:21) 
  
ペテロたちはどうしたでしょうか。 
彼らは理解できず、自分のところに帰って行ったのです。(9-10節) 
自分のところ、それは以前の世界です。 
イエスさまが開かれた新しい世界ではなく、まだ痛みに勝利する前の世界です。 
彼らは喜んで帰って行ったのではなく、心に痛みを持ったまま帰って行ったのです。 
もちろん、イエスさまはそんな彼らを見捨てません。 
彼らのところに現れ、気付かせ、励まして下さるのです。 
  
ペテロたちははじめ理解できませんでした。 
けれども、2000年後に生きる私たちは理解しましょう。 
新しい世界が始まったのです。 
悲しみは完全に葬り去られました。 
悲しみがなくなるわけではありません。 
でも、もう、あなたを絶望させる力はありません。 
栄光の人生の始まりです。 
歩き出しましょう、イエスさまとともに。 
  
イエスさまが、よみがえられました。 
痛み、悲しみをくるんだ亜麻布は、墓の中です。 
もう、あなたを引き込むことはできません。 
葬り去られたのです。 
さあ、喜びの人生を歩き始めましょう。 
イエスさまと一緒に、光の中を! 
  
あなたのためにお祈りしています。 
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