18   からっぽの墓 (イースター04 2006.04.15 第二礼拝)
イースターに向けて 04
『からっぽの墓』 ヨハネ 20:1-10
 
第1礼拝では、イエスさまの十字架をお話しました。
今回は、いよいよ復活です。
一番はじめのイースターを聖書から見てみましょう。
 
十字架から3日目の朝、日曜日の朝のことです。
イエスさまをきちんと葬るために、女たちが墓に行きました。
十字架から下ろされた時は、時間がなくて、きちんとできなかったのです。
その日の夕方から安息日が始まり、土曜の夕方までが安息日で、何もすることができませんでした。
それで彼女たちは3日目の朝に出かけたのです。
 
ところが、墓はからっぽでした。
女たちの知らせを受けて、ペテロとヨハネも墓に駆けつけたんですが、墓の中には布しかありませんでした。
イエスさまがよみがえったのです!
 
イエスさまはこれまでに、死んだ人を生き返らせたことがありました。
ヤイロの娘(マルコ5:21-43)、ナインのやもめの息子(ルカ7:11-16)、ラザロ(ヨハ11:1-44)です。
彼らはどの場合も、そのまま生き返りました。
この中で、イエスさまと同じように墓の中から出てきたのはラザロです。
このとき、ラザロは布に包まれたまま墓から出てきました。
 
しかし、イエスさまを包んでいた亜麻布は、そのままになっていました。
亜麻布、それは、第1礼拝のメッセージでお伝えしたように、私たちの痛みを包んで葬っていたものです。
その亜麻布が、そのまま、墓の中だったのです。
イエスさまは、私たちの痛みをすべて背負い、それを墓の中に葬ったのです。
そして、御自身は、墓の中から、死の中からよみがえったのです。
それは、痛み悲しみに勝利し、死に勝利したイエスさまをあらわしています。
 
そして、私たちもイエスさまと同じようにされるというのが、聖書の約束です。
 
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ3:21)
 
ペテロたちはどうしたでしょうか。
彼らは理解できず、自分のところに帰って行ったのです。(9-10節)
自分のところ、それは以前の世界です。
イエスさまが開かれた新しい世界ではなく、まだ痛みに勝利する前の世界です。
彼らは喜んで帰って行ったのではなく、心に痛みを持ったまま帰って行ったのです。
もちろん、イエスさまはそんな彼らを見捨てません。
彼らのところに現れ、気付かせ、励まして下さるのです。
 
ペテロたちははじめ理解できませんでした。
けれども、2000年後に生きる私たちは理解しましょう。
新しい世界が始まったのです。
悲しみは完全に葬り去られました。
悲しみがなくなるわけではありません。
でも、もう、あなたを絶望させる力はありません。
栄光の人生の始まりです。
歩き出しましょう、イエスさまとともに。
 
イエスさまが、よみがえられました。
痛み、悲しみをくるんだ亜麻布は、墓の中です。
もう、あなたを引き込むことはできません。
葬り去られたのです。
さあ、喜びの人生を歩き始めましょう。
イエスさまと一緒に、光の中を!
 
あなたのためにお祈りしています。



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