復活のイエスさま 02
『わたしを愛しますか』 ヨハネ 21:15-17
この聖書箇所は、ペテロの否認(第149回礼拝メッセージ)と対になる箇所です。
ペテロの否認も3度、今回のイエスさまの質問も3度です。
このことを通して、イエスさまはペテロとの関係を回復しました。
イエスさまは質問しました。
「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」(15節)
これは、「あなたは、この人たちがわたしを愛する以上に、わたしを愛しますか。」という問いかけです。
ペテロの愛と誠実を聞いているのです。
イエスさまの逮捕の直前、自分の愛と誠実を示すために、ペテロはイエスさまにこう言いました。
「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」(マタイ26:33)
しかし、彼はその晩が明けないうちに、3度の否認をしたのです。
ペテロは答えます。
「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」(15節&16節)
「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」(17節)
これは、失敗する前のペテロが答えたのではありません。
ですから、「存分に愛しています。知っているでしょう。」と言っているのではないのです。
ペテロは、自分の中から出る愛や誠実の限界を、いやというほど知りました。
そして、否認したところをイエスさまにも見られているのです。
自分の愛の足りなさは、ごまかしようもないのです。
ペテロの心はこうです。
「はい。主よ。私の愛も誠実も、あなたがすっかりご存じです。
知っての通り、精一杯しましたが、でも、私の愛も誠実も、まったく不十分なものでした。」
3度答える中で、ペテロは自分の中から出てくる愛のなさを、はっきりと知らなくてはなりませんでした。
これに対して、イエスさまはこう答えています。
1度目は、「わたしの小羊を飼いなさい。」
2度目は、「わたしの羊を牧しなさい。」
3度目は、「わたしの羊を飼いなさい。」
小羊を飼うのは、見習い羊飼いでしょう。
羊を牧するのは、雇われ羊飼い、使用人です。
羊を飼うのは、羊飼いです。
順に責任が重くなっているのがわかりますか。
質問が進み、ペテロが自分の無力に直面するほど、責任が重くなっていくのです。
そして、イエスさまの言葉は創造の言葉です。
創世記で「光あれ」と全宇宙を造った、神様の言葉です。
イエスさまは、ペテロに「私の羊を飼う羊飼いになります」と宣言したのです。
イエスさまの羊飼いの定義は聖書に書いてあります。
「良い羊飼いは、羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)
ペテロの愛は、ペテロ自身のいのちを超えた愛になったと宣言したのです。
それは、自分自身の愛でなく、イエスさまの愛が、彼の中に生きているからです。
自分自身の愛の無力に直面し、復活のイエスさまの愛に触れられた彼は、イエスさまの愛に生きる者となったのです。
私たちも愛なき者です。
ペテロと比較しても、まったく不十分な者です。
ただ、ペテロのようにごまかしきれない場面に遭遇しないので、ごまかし続けて生きているだけです。
そんな私たちにもイエスさまは質問します。
「わたしを愛しますか。」
ごまかさずに、自分の愛のなさを答えましょう。
そして、イエスさまの創造の言葉、愛の言葉を受けましょう。
ペテロはこう書いています。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです。(1ペテロ5:7)
イエスさまの愛を受けて、愛ある者になりましょう。
イエスさまの愛によって、造りかえられましょう。
神様から愛され、神様を愛し、自分を愛し、他の人を愛し生きていきましょう。
イエスさまは、あなたの愛のなさをご存知です。
それを受け入れ、赦してくださいます。
だから、ごまかさなくていいのです。
イエスさまの愛を受けて、変えられましょう。
「わたしを愛しますか。」
このイエスさまの声に、あなたは何と答えますか?
あなたのためにお祈りしています。
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