22   従順 (ラブレター04 2006.04.29 第二礼拝)
あなたへのラブレター 04
『従順』 ピリピ2:1-11
 
私がブラジルに着いて半年くらい経ったときの事です。
日系人教会に招かれて、パラナ州への出張伝道がありました。
そこで、経歴などの質問を受け、ハワイの中野雄一郎先生の教会で信仰を持ち、山形県米沢の田中先生の教会に集い、JTJ宣教神学校で学んだことを伝えました。
 
すると、
「中野先生のお弟子さんなら・・・・」
「田中先生のお弟子さんなら・・・・」
「岸先生(JTJ学長)のお弟子さんなら・・・・」
と、異口同音に言われ、私のような拙い新米伝道師の話を、きちんと聞いてくださりました。
偉大な先輩牧師の方々に感謝するとともに、心の中に違和感を覚えていました。
 
また、協力伝道師として教会にご奉仕させていただく中で、意見が合わず引っかかることがあります。
それは、「教会の弟子訓練」についてです。
特に引っかかってしまうのが、「従順」という言葉です。
彼らが与えようとしている従順は、教会に対しての従順、牧師に対しての従順にかたよっているように感じるのです。
そして、「訓練を与える側=支配する人。受ける側=奴隷。」のような印象を受けて仕方がないのです。
私たちに従順は必要です。
しかし、いったい何に対しての従順が必要なのでしょうか。
 
ピリピ人への手紙は、パウロがピリピの教会にあてた手紙です。
今週の聖書箇所では、ピリピの教会には、一致が必要な状態であったことがうかがわれます。
ここから、従順について学んでいきたいと思います。
 
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。(8節)
ここには、イエスさまの従順が書いてあります。
神様の愛による救いのため、イエスさまは徹底的に従順でありました。
罪深い私たちのために、救いの道を完成するため、十字架の死に至るまで従順だったのです。
そして、イエスさまの従順によって救いは完成しました。
神様の大切な宝物である私たちは、神様のもとに取り戻されたのです。
 
なぜ、イエスさまは徹底的に従順になる必要があったのでしょうか。
それは人間には完全な従順が不可能だからです。
もし、私たちの従順が完全であったなら、イエスさまは十字架にかかる必要はなかったのです。
不十分な私たちの従順では(知識や技術でも)、救いを完成できないのです。
 
では、イエスさまの従順の目的は何でしょうか。
それは、
すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(11節)
すべての人が、「イエス・キリストは主である。」と告白するということは、すべての人がイエスさまの弟子であると宣言することです。
イエスさまの愛と従順によって、それは十字架上で示されたものですが、私たちは一致できるのです。
ここに、パウロが期待する一致があるのです。
 
サンパウロ・ゴスペルハウスには、ゴスペルハウスの弟子はいません。
もちろん、伝道師である私の弟子もいません。
ここにいるのは、イエスさまの弟子だけです。
ですから、私たちはみな友なのです。
礼拝に出席している人も、メールやインターネットでこのメッセージを受けている人も、みんな同じイエスさまの弟子。
いえ、世界中のすべての人が、イエスさまの弟子なのです。
そして、イエスさまの従順によって、私たちは一致したひとつのからだなのです。
 
私たちに要求される従順があります。
「イエス・キリストは主である。」
この宣言、この事実に従順でありましょう。
そして、イエスさまが従順によって示してくれた愛によって、ひとつになりましょう。
 
 
あなたは、イエスさまの弟子です。
私も、イエスさまの弟子です。
イエスさまの従順によって、わたしたちは永遠の愛を得ました。
イエスさまの従順によって、私たちはひとつになります。
「イエス・キリストは主である。」
この事実を、心に深く刻みましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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