母の日特別礼拝
『神様と母と愛』
イザヤ 44:24, 第1テサロニケ 2:6-8
明日14日は母の日です。
私たちすべての人間には、ひとつの共通点があります。
それは、「母親から生まれた」ということです。
誰一人として、母親のおなかから生まれなかった人はいないのです。
そこで、今週は、「母」という言葉を含み、なおかつ「父」を含まない箇所の中から、旧約聖書1箇所と新約聖書1箇所を選びました。
ここから2つのポイントを分かち合いたいと思います。
まず第1のポイントはイザヤ書から、「創造の業に関与を許された母親」です。
神様は言われました。
「わたしは万物を造った主だ。
わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。」
そうです。天地の創造から、神様はすべてのものをただひとりで創造したのです。
しかし、その前にこうあります。
「あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主」
母親は人間の創造・誕生に確実に関与したのです。
すべての物を創造できる神様が、ただひとつ、いのちの誕生に際して、母親の関与を許したのです。
私たちは例外なくすべて、母親のおなかの中で、母親と神様によって守られ、育まれてきたのです。
神様が、私たちのいのちのはじまりにあたって、私たちに下さった最初のプレゼントが母親なのです。
そして、いのちの始まりに関与できる特権を母親に下さったのも神様です。
母親から生まれたことも、母親になることも神様の祝福あふれるプレゼントなのです。
2つ目のポイントはテサロニケ人への第1の手紙から、「母親の中に生きるイエスさまの愛」です。
パウロはこう書きました。
母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。(7節)
母親は優しいのです。
具体的には、「私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたい」(8節)ほどの優しさなのです。
親は、赤ん坊が何も見返りを出来なくても、愛します。
生まれたばかりの赤ちゃんに、「ちゃんと返事できたらミルクをあげる」と言う親はいないでしょう。
もしいたとしたら、その子は4日ももたずに死んでしまいます。
また親は、子どもの排泄物も、いとわずに処理します。
「ウンチ汚いから」と言って放置されてしまったなら、赤ちゃんは生きていけません。
ここまでは、父親でもできる愛です。
しかしパウロは、「母がその子どもたちを・・・」と言ったのです。
母親だけにできる事とは何でしょうか。
それは、自分自身のいのちを削って、赤ん坊に母乳を与えることです。
これが母親だけの愛です。
母乳の原料は何か知っていますか?
長男はれるが生まれてから妻に教えてもらったのですが、母乳の原料は、母親の血液なのです。
母親は、真っ赤な血を原料に、真っ白な母乳を作り、赤ん坊にいのちを与えるのです。
血はいのちを支えるものです。(聖書でも血はいのちと言っています。)
母親の愛は、自分自身のいのちを、惜しげもなく捧げる愛なのです。
それは、母親だけに与えられた愛、ほかの誰にも出来ない愛です。
パウロはここに、イエスさまの愛を見たのです。
イエスさまは、十字架上の真っ赤な血潮で、私たちの罪を真っ白にし、私たちに新しいいのちを与えてくださいました。
御自身のいのちを、惜しげもなく捧げきった愛です。
ほかの誰にも出来ない愛です。
このイエスさまの愛が、母親の中に生きています。
そして、その愛を受けて、私たちは生まれ、育ったのです。
母親は、私たちへの神様からの愛のプレゼントです。
それは、イエスさまの愛を持ったプレゼント。
今日は母の日です。
照れずに伝えましょう。
「お母さん、ありがとう!」
素敵な母の日でありますように!
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