27   いっしょに (ラブレター06 2006.05.20 第二礼拝)
あなたへのラブレター 06
『いっしょに』 ローマ 12:15
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
 
キリスト教は、よく、「喜びの宗教」と言われます。
また、聖書には700回以上の「喜」の字が書いてあります。
聖書の神様は、全知全能の神様、勝利の主です。
キリスト者になったら、その神様が味方につくのです。
 
しかし、私たちに神様が味方したとしても、悲しみがなくなるわけではありません。
もちろん、悲しんでいる人は、神様から罰を受けているとか、信仰が足りないというわけでもありません。
では私たちは、悲しみとどのように向かい合ったらいいのでしょうか。
 
パウロはこう書きました。
「泣く者といっしょに泣きなさい。」
泣くことは悪いことではありません。
それが証拠に、「泣く者を励まして喜ばせなさい」とは書いてないのです。
この箇所は、キリスト者の生き方について書いてあります。
そして、悲しんでいる者の悲しみを、自分自身の悲しみとして悲しもうと書いたのです。
 
また、「喜ぶ者といっしょに喜び」ともあります。
喜ぶ者の喜びを、嫉妬なしに、いっしょに喜ぼうということです。
これは泣く者といっしょに泣くよりも難しいことかもしれません。
 
たとえば、あなたが友人といっしょに宝くじをそれぞれ1枚買ったとしましょう。
同じ店で買った1枚違いの宝くじです。
そして、発表の日。
友人が1等をあてて大金を手にし、あなたははずれくじ。
このとき、あなたは一切の嫉妬や悔しさなしに、いっしょに喜べますか?
私には、・・・・・難しいです。
 
しかし、聖書の大原則があります。
それは、「聖書は命令しっぱなしではない。」ということです。
イエスさまこそ、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」の実践者なのです。
私たちは不十分なので、実践し切れませんが、イエスさまは実践されるのです。
だから、私たちは喜んでいいんです、悲しんでいいんです。
私たちが悲しみのどん底にいるときも、イエスさまは決して見捨てません。
イエスさまはそういう人のために、愛の涙を流される方なのです。
私たちはイエスさまの愛の中で、思いっきり泣きましょう。
 
私たちは喜んでいいのですが、ただ、「喜びや笑いの吟味」をしましょう。
私たちは、一生懸命やっている人の失敗を喜んでいないでしょうか?
また、不幸や欠点を笑っていないでしょうか?
(テレビでは、スポーツ選手の珍プレー集やドラマや映画のNG集の人気はすごいようです)
 
そのとき、あなたといっしょに笑っているのはイエスさまでは「ない!」ですね。
他人を見下す喜びや笑いは、イエスさまのものではありません。
イエスさまの喜び、イエスさまの笑いは、私たちに、いのち・希望・自由を与えます。
イエスさまの喜びの中にあって、私たちは大いに喜びましょう。
その喜びをもって、喜ぶ者といっしょに喜びましょう。
 
 
あなたは、力いっぱい泣いていいのです。
あなたのために流すイエスさまの涙は、愛の涙です。
あなたは、力いっぱい喜んでいいのです。
イエスさまの喜びは、いのちと自由と希望を与えます。
イエスさまの喜びの中で、心から喜びましょう。
イエスさまの愛の中で、心から泣きましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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