32   あなたのままで(ラブレター07 2006.06.10 第二礼拝)
あなたへのラブレター 07
『あなたのままで』 第1コリント 7:17-24
 
コリント人への手紙の筆者はパウロです。
この聖書箇所で、パウロはキリスト教の最も重要な規則の一つを示しています。
それは、「今あるままの状態でキリスト者たれ」ということです。
性別も、人種も、職業も、立場も、そんなものにこだわることなく、今ある状態のままキリスト者として生きなさいと言っているのです。
 
イエス・キリストは、人間のすべての部分・全人格を救うために、ご自身すべてをいけにえとして捧げました。
私たちのうちのよい部分だけを取り出し、そこだけ救うというような、限定的な救いではありません。
もしそうなら、私たちは罪の奴隷のまま、自分自身を責め続けるしかありません。
私たちの弱い部分も、醜い部分も、イエスさまの十字架は背負ったのです。
 
不完全な私たちは救われてもまだ、弱い者です。醜い者です。
完全に聖い神様とは比べものになりません。
しかし、その弱い部分、醜い部分はイエスさまの十字架にかけられてしまいました。
私たちは弱さ、醜さをもっていますが、もう、その力の奴隷にはならないのです。
 
クリスチャンになると、何か立派な生き方をしなくてはならないと考える人たちがいます。
私は、一生懸命なクリスチャンの方に、そのような方が多いように思います。
そして、素敵な先輩クリスチャンや牧師を見つけ、それをモデルに生きようとしがちです。
モデルを持って生きるということは、素敵なことではあります。
しかし、それによって不自由になってはいけません。
 
それぞれの人の顔や性格が違うように、すべての人にそれぞれの人生があるのです。
モデルを持つということは、ある意味で他人の人生を生きることになります。
それが喜びであり、自分自身の自然な姿であれば問題ありません。
しかし、義務感を感じたり、無理しているように感じたりするのなら、修正する必要があります。
 
大切なのは、救われた者のようになろうとするのではなく、救われた者として生きることです。
 
クリスチャン・キリスト者って何でしょうか?
 
私がハワイでキリスト者になってしばらくしたときのことです。
所属教会の中野牧師が礼拝説教中に、こう言いました。
「坂本君、クリスチャンは親孝行しなくてはならないよ。
さあ、今日は母の日だね。
僕がこのお金をあげるから、カードを買って日本のお母さんに送りなさい。」
 
礼拝中にみんなの前でお金を受け取ってしまっては、出さざるを得ません。
それで私は、「お久しぶりです。クリスチャンになりました。もうすぐ日本に帰ります。」と書いて、カードを送りました。
 
日本でそれを受け取った母は、クリスチャンになったということが、どういうことかわかりませんでした。
それで、「ハワイのアメリカ人と結婚した」とか「金髪になった」とか考えていたようです。
キリスト教と縁のない生活をしていた我が家にとって、クリスチャンのイメージはそんなものだったのです。
 
ですが、実際クリスチャン生活をしている人も、かなり偏ったイメージを持っているのではないでしょうか。
「礼拝のときは、ネクタイを締めていかなければならない」
「もちろん牧師・伝道師はスーツで説教」
「できればシックなスーツが好ましい」
「祈りの時間は、1日30分以上」
こんなイメージありませんか?
 
ゴスペルハウスの礼拝では、メッセンジャーの私は、ビーチサンダルにTシャツ、そしてジーンズの半ズボンです。
非常識に感じる方もいるでしょう。
しかし、本当に大切なことは、神様の子どもとして、救われた喜びにあふれて、イキイキと生きることです。
 
無理に、「クリスチャンらしく」生き方を変えることは必要ありません。
それでは、らしさの奴隷です。
私たちは、立派になったから神様に愛されるわけではないのです。
「あなたのままを愛してくれた神様に、あなたのままで応える。」それが神様の望むことです。
あなたのままで、救われた者としてイキイキと生きましょう。
 
 
神様は、あなたのよさも悪さも知っています。
その上で、全てを捧げて愛してくれました。
ほかの誰でもなく、あなたを愛してくれたのです。
神様が愛してくれたあなたを、そのまま愛しましょう。
あなたは、あなたのままでいいのです。
 
あなたのためにお祈りしています。



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