38   明けの明星(ラブレター10 2006.07.08第二礼拝)
あなたへのラブレター 09
『明けの明星』 第2ペテロ 1:16-21
 
昨日7月7日は、七夕でした。
織姫と牽牛の愛し合う夫婦が、1年に1度だけ会える日。
待ち遠しく、ロマンチックな日ですね。
星の世界を舞台にしたラブストーリですが、聖書には何の関係もありません。
 
しかし、聖書にも星を待ち望む箇所があります。
今週の聖書箇所がそれです。
この箇所では、明けの明星との出会いを待ち望んでいます。
明けの明星とは、ここでは、再臨のイエスさまを指します。
 
再臨とは、復活の後、地上を離れて天に上げられ、父なる神のみもとに帰られたイエスさまが、もう一度、天から地上に戻って来られることです。
その目的は、ヘブル人への手紙にこう書いてあります。
キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。(ヘブル9:28)
再臨の解釈については、さまざまな立場があります。
しかし、共通していることは、再臨は救いの完成であり、絶えることのない喜びの到来ということです。
 
この再臨は、イエスさまが昇天して約2000年たった現在、まだ実現していません。
今までどれほど多くの信仰の先人たちが、再臨を待ち望んでいたことでしょうか。
かく言う私も、再臨を待ち望んでいるキリスト者の1人です。
 
この手紙が書かれた当時、再臨に対する信仰が薄くなっていました。
イエスさまが、福音を伝えたのは、たったの3年間でした。
この鮮烈な3年間の公生涯に比べ、イエスさまが昇天してから何年間も何も起こらないので、再臨について疑問を持つ人たちが現れたのです。
また、再臨はいつだか誰もわからないことも、疑問と不信をあおりました。
そして、自分勝手な解釈から、キリスト教の本質から離れていく人たちがいたのです。
偽指導者、偽預言者などの間違えた考えに導く人たちも登場してきました。
 
そんな状況に対して、ペテロが呼びかけているのです。
「希望の星(明けの明星)は、必ず来る。
私は、イエス・キリストの威光の目撃者だ!
今はまだ見えないけれど、預言者(聖書の約束)も言っている!
イエスさまは必ず来る!
この約束は、解釈を変えることによって取り消されるようなものではない。
この希望のともし火を心から消してはいけない。」
 
ペテロは、イエスさまのご威光の目撃者として、また、イエスさまとともに生きた使徒として、イエスさまの約束の確かさを訴えているのです。
 
ペテロは続けます。
「夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、・・・」(19節)
再臨は、心の中にだけ起こるようなものではありません。
はっきりと、私たちはイエスさまをこの目で見ることができるのです。
再臨は確かに目に見えるものであるにもかかわらず、ペテロは「心の中に」と言っています。
これは、どういうことでしょうか。
 
それは、信仰によって再臨のイエスさまを心にお迎えすることです。
いまだ見ていないけれども、すでにその希望の光で心を満たすことです。
これは気休めやごまかしではありません。
確かな約束だからこそ、先取りして信じていいのです。
 
たとえば、遠足の前日のようなものです。
まだ遠足に行っていないのに、前の日はウキウキして、私などは寝不足になったものです。
行ってもいない遠足に、なぜここまで浮かれることができるんでしょうか。
それは、その遠足が間違いなく行なわれると、固く信じているからです。
そして、それはちょっとやそっとのことでは、裏切られることがありません。
 
再臨への希望も同じことです。
それは、遠足の予定よりも、ずっと確かな約束です。
神様が保障してくださる約束です。
ですから、この希望が失望に終わることは、決してありません。
心に希望の星を持って、再臨のイエスさまを待ちましょう。
明けの明星の光、希望の光で、あなたの心を満たしましょう。
 
 
明けの明星が、あなたの心に上ります。
それは、再臨のイエスさま。
あなたに永遠の愛を与えるために来るのです。
希望の光で、心を満たしましょう。
希望にあふれ、イキイキとイエスさまを待ちましょう。
夜明けは近いです。
明けの明星は、もう、すぐそこに来ています。
 
あなたのためにお祈りしています。



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