39   求める者のたとえ(たとえ24 2006.07.15)
イエスさまのたとえばなし 24
『求める者のたとえ』ルカ 11:5-13
 
今週の聖書箇所は、「求める者のたとえ」です。
天の父なる神様に熱心に求めることの大切さをあらわすたとえばなしです。
 
次の言葉が、この箇所の中心になっています。
求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。(9節)
神様に対して、大胆に求めることをすすめているのです。
 
世の中には、日常生活の中で欠乏感や必要感を持っていても、神様に求める人は少ないものです。
たとえば、明日食べるものがなく、食べるものを買うお金もないとき、何よりもまず神様に求めているでしょうか。
それよりも、自分の知恵や工夫に、あるいは友人に頼ってしまうのではないでしょうか。
 
それは、生きて働いている神様を信じていないからです。
キリスト者でない人たちがこのように考えるのは、当たり前です。
しかし、神様を信じてキリスト者になっている人たちでさえ、なかなか大胆には求め切れないものです。
 
なぜ、神様を信じていても大胆に求め切れないのでしょう。
第一にそれは、信仰の世界と現実の世界を切り離しているからです。
教会の扉の内側には神様が存在して、賛美し、感謝し、喜ぶことができます。
しかし、一歩教会の外にでてしまったら、そこは現実の世界、神様のいない世界と考えてしまうのです。
ですから、「日曜日に教会でエネルギーをいただくけれども、週日はそれを消費するばっかりだ」などと考えてしまうのです。
 
このように、信仰の世界と現実の世界を切り離してしまう人にとって、神様は単なる心の気休めです。
信仰生活、教会生活では、神様を一番としていますが、それは心の範囲に限られています。
現実生活では、神様を一番とするよりも、人間の知恵や自分の経験や社会の常識を優先してしまうのです。
 
第二に、自分自身が神様に愛されているという実感がないと、神様に大胆には求め切れません。
自分自身のけがれに気が付いてしまって、「こんな私が神様に大胆に求めるなんてできない」と考えることがあります。
また、熱心に求めても裏切られるかも知れないという思いから、熱心に祈ることを敬遠することもあるでしょう。
これでは、「不幸せの先取り」です。
 
このように考えていくと、とてつもなく立派な信仰者しか、神様に大胆に求め切れず、祝福を与えられるのも至難の業のように感じます。
そして、一般の人たちは、神様の祝福からもれているように感じてしまいます。
 
しかし、ここに聖書の大原則があります。
それは、「聖書の言葉は、命令しっぱなしではない」ということです。
一番に大切なのは求めの熱心さではなく、求めにこたえる天の父の愛なのです。
 
だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(10節)
この箇所はこう言っているのです。
必ず受けるから求めなさい。
必ず見つかるから捜しなさい。
必ず開かれるからたたきなさい。
そして、この保証は、選ばれた一部の人たちに対してのものではありません。
「だれであっても」なのです。
神様の祝福は、すべての人に注がれているのです。
 
そして、「不完全な人間の父親でさえ、子どものために必要なものを与えるのです。
ましてや、完全な父親である神様が、与えないはずがないでしょう。」と、イエスさまは続けるのです。
 
私たちに一番必要なものとは何でしょうか。
神様に大胆に求め、神様から大胆に与えられるために必要なものとは何でしょう。
それは、神様に愛されているという実感です。
神様が生きているという実感です。
神様に不可能はないという実感です。
神様は何があっても自分の味方という実感です。
 
そして、これらの実感を私たちに与えてくれるのが「聖霊様」なのです。
聖霊様なしで、私たちはこの実感を得ることはできません。
この実感なしに、大胆に、熱心に求めることはできません。
しかし、神様は、すべての求める人に聖霊様をプレゼントしてくれます。
熱心に求めること、大胆に祈ることができるための愛の実感をプレゼントしてくれるのです。
 
聖霊様を受けることは、難しいことではありません。
聖霊様に心を開けばいいのです。
「聖霊様、いま、私に心を開きます。どうぞお入りください」と、お祈りしましょう。
神様は必ず、あなたに聖霊様をくださいます。
それは確かな約束です。
 
私たちが、これを得てしまえば、現実の生活が神様とともにいる生活になります。
生きながらにして、神様の国(天国)の国民となるのです。
神様の国に国籍を置いて、大胆に生きていきましょう。
 
 
聖霊様を心にお迎えしましょう。
全能の生きている神様に愛されている実感を、しっかりと受けましょう。
そして、愛されている神様の子として、大胆に求めましょう。
神様が、あなたの求めを聞き逃すことは、決してありません。
神様は、最高のかたちで、あなたの求めにこたえてくださいます。
それが、神様の国民のダイナミックな人生です。
 
あなたのためにお祈りしています。



| 前週へ | 年間目次 | 次週へ |


ホーム 集会案内 伝道師紹介 Message 2008 御言葉の旅 歴史(年表) リンク集 Message 2007 Message 2006 Message 2005
Message 2004


gospelhouse@church.ne.jpメールはこちらまで。