40   罪からの解法(ラブレター11 2006.07.22第一礼拝)
あなたへのラブレター 11
『罪からの解放』 ローマ 8:1-3
 
聖書は神様からの私たちへのラブレターですから、その中の言葉はすべて素敵な言葉です。
その中にあって、さらにひときわ輝く光を投げかけてくる言葉があります。
たとえば、「聖書の中の聖書」とも言われるのは、ヨハネ3:16です。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
これほど端的の神様の愛を表す言葉は少ないですね。
 
今週の聖書箇所のローマ第8章は、キリスト教教理の頂点、キリスト者への永遠のいのちの確かさを示していると言われています。
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(1節)
決定的な赦しと解放の宣言です。
こういうわけでというのは、第7章までに述べられてきた、イエスさまの十字架による救い、完全なる赦しのことです。
イエスさまの十字架によって、私たちはもう決して神様から罪に定められることがないのです。
 
神様から与えられた律法は、それ自体で神様との和解の力を持っていました。
ところが、罪に堕ちた人間には、まったく律法の要求する水準は達成不可能だったのです。
そのため、律法は無力なものとなってしまいました。
ですから、律法自体が無力なのではなくて、人間が到達できないから無力となってしまったのです。
 
広ーい原っぱに、1人の空腹でのどの乾いた人がいたとしましょう。
水がほしくて、食べ物が食べたくてたまらない彼に、ごちそうが与えられます。
しかし、そのごちそうは彼の上空20メートルに浮いているのです。
オリンピックの高跳びの優勝者でもここには届きません。
これでは、そのごちそうは彼にとって無力な助けですね。
ごちそう自体は、素敵なものにもかかわらずです。
 
罪に堕ちた人間の背中には、翼がありません。
そして彼には気球を作る力の材料もないのです。
これが、「罪と死の原理」(2節)です。
 
しかし彼に気球が与えられたら、どんな高跳びの名選手よりも高く行くことができます。
その気球(いのちの道)を与えるために、イエスさまは十字架にかかったのです。
いのちをかけて、私たちにいのちの道を与えてくれたのです。
 
そして、気球に乗って昇っていく人間の背中には翼はないままなのです。
また、気球も自分で作ってはおらず、与えられたものです。
そうです。
救いの確立・完成は、人間側の可能性には由来していないのです。
もし、人間側に由来しているのなら、私たちは絶望するしかありません。
どんな立派な人だって、神様の基準に達する聖さには、自力ではたどり着けないからです。
 
救いの完成は、まったく神様側からの一方的な恩寵です。
これが、「いのちの御霊の原理」です。
神様の私たちへの愛によって、私たちはそれを受け取ることになるのです。
イエスさまの完全な従順による死によって、私たちはそれを受け取ることになるのです。
聖霊様の助けときよめによって、私たちはそれを受け取ることになるのです。
ここには、私たちの努力はありません。
神様の愛のゆえの新しい世界で、イキイキと生かされて生きてましょう。
 
 
あなたの罪が、律法を無力なものにしました。
しかし、神様の愛はあなたを見捨てません。
イエスさまの従順は、いのちの道を開きました。
聖霊様の助けで、あなたは新しいルールに生きるのです。
それは、完全な自由の世界。
愛するあなたのための、神様からの一方的なプレゼントです。
 
あなたのためにお祈りしています。



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