41   レプタ銅貨二つ(メッセンジャー17 2006.07.22第二礼拝)
メッセンジャーはイエスさま 17
『レプタ銅貨二つ』 ルカ 21:1-4
 
今回の聖書箇所は、「やもめの献金」として知られているところです。
ある人が言いました。
「献金の大きさは、捧げた額ではなく、残した額によってきまるのである。」
どれだけ少なく残して献金したかが、献金の大きさだということですね。
 
ここでやもめは、生活費すべて、何もかもを捧げました。
だから残金0ということで、最も多く捧げたのです。
だから皆さんも、教会への献金は出し惜しみせずにドンドンしましょう。
というメッセージではありません。
 
捧げた額の大きさを誇ることも、残した額の小ささを誇ることも、人間への栄誉を求めていることに変わりはありません。
人間の善行では、人間は救われません。
人間はすべて、不完全で罪人なのですから。
人間の善行では、神様の基準の聖さには到達しません。
 
また、全宇宙を造り、全能の神様に対して、お金は何も必要ありません。
創世記第1章で、神様が世界を造るときに、「建築予算が足りないなぁ」などとぼやいてはいないのです。
人間からのお金がなかったら立ち行かないような神様ではないのです。
逆に、一番大切なイエスさまのいのちさえ、人間のために捧げる愛の神様なのです。
捧げた額も残した額も、神様にとっては問題ではありません。
彼女が捧げた「生活費の全部」は2レプタでした。
これは、日雇いの肉体労働者の1日分の給料の64分の1です。
現在の日本の1日の労働者の給料を考えると、100円〜200円といったところでしょうか。
これが生活費全部ということは、もう、食べる物もままならないような極貧の状態です。
 
ところで、彼女はレプタ硬貨を2枚持っていました。
もしあなたが、彼女と同じ立場だったら、2枚とも献金しますか?
私は度胸がないので、きっと1枚だけ入れてしまったことでしょう。
また、2レプタは1コドラントと同じです。
彼女が1コドラント硬貨を1枚持っていても、彼女は惜しみなく捧げたことでしょう。
では、あなたはどうですか?
手の中のたった1枚の硬貨を、捧げられますか。
 
彼女が捧げたものは、彼女の生活の全部でした。
彼女は少ない生活費のすべてを、神様の支配の中に入れたのです。
生活の全てを、惜しみなく神様に捧げたのです。
そして、神様に生活のすべてをゆだねたのです。
自分自身を全て捧げた彼女は、誰よりも大きな捧げものをしたのです。
 
私たちはともすると、神様に一部しか捧げていないのではないでしょうか。
救いや心の病気は神様にまかせる。
でも、商売や経営は××経営塾、子育ては○○博士の育児書、交通安全は□□神社のお札では、神様に全てを捧げているとはいえません。
商売や経営も神様、子育ても神様、交通安全も神様なのです。
生活すべてを神様にまかせるのです。
 
しかも、これは賭けではありません。
なぜなら、神様は確実に支えてくれるからです。
やもめの献金は、その点において最高の信頼を神様に示した、最高の献金なのです。
 
サンパウロ・ゴスペルハウスには献金袋・箱・封筒はありません。
そもそも献金の制度そのものがありません。
なぜなら、捧げるべきものは、お金ではないからです。
神様はお金を必要としません。
私たちは、私たちの人生を、信頼を持って神様に捧げましょう。
 
これは犠牲ではありません。
痛みでもありません。
最愛の母親の胸に飛び込む赤ちゃんのように、喜びと期待を持ってゆだねていいのです。
あなたの人生の運転席のハンドルを、神様に明け渡しましょう。
神様はあなたに、愛と信頼あふれる人生を与えます。
人生すべてを神様にゆだねる、これこそ神様の祝福を確実に受ける方法なのです。
神様は、あなたのために、イエスさまのいのちを捧げました。
これ以上の捧げものはありません。
あなたが捧げるべきものは、お金ではありません。
信頼を持って、神様にあなた自身を捧げましょう。
人生のすべてを、神様に明け渡しましょう。
そのとき、愛と喜び、祝福あふれる人生がはじまります。
 
あなたのためにお祈りしています。



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