42   宮の納入金(話そう39 2006.07.29第一礼拝)
イエスさまと話そう39
『宮の納入金』マタイ 17:24-27
 
今週の聖書箇所は、「宮の納入金」です。
この納入金は、出エジプト記第30章から由来しているもので、20歳以上のユダヤ人は1年間に半シェケルを神様への奉納物とすることになっていました。
貧しい人も富んでいる人も同じ半シェケル(労働者の2日分の給料に相当)です。
 
イエスさまの時代には、20歳から50歳までのユダヤ人男子が、1年につき半シェケルを、過越の祭の時エルサレムで納めるか、または別の地でひと月早く納めることになっていました。
それで、納入金を集める人が、イエスさまのところの来たのです。
 
ところで、イエスさまには、宮の納入金を納入する義務はありません。
なぜなら、イエスさまは、礼拝するべき立場ではなく、礼拝されるべき神様の子なのです。
イエスさまは、自分自身こう言いました。
「ここに宮より大きな(偉大な)者がいるのです。」(マタイ12:6)
イエスさまがこの立場を崩すなら、キリスト教の贖いは無力・無効になります。
 
イエスさまは続けます。
「しかし、彼らにつまずきを与えないために」(27節)
ここでつまずきを与えるというのは、進路に置き石をするという意味です。
イエスさまは、ご自身の権利を主張することもできました。
しかし、真理へと続く線路に置き石をするかのような強い主張は避けました。
それは、目に見えるところに頼る弱い人間のためです。
イエスさまは、彼らを脱線させないための配慮をしたのです。
 
そして、絶妙のバランスの奇蹟が行なわれました。
それは、納入義務ない神の子としての権利の主張と、愛の配慮を完全に調和させた奇蹟です。
ペテロはその奇蹟の体験者であり、実行者です。
しかし、この奇蹟の主権はイエスさまが握っています。
 
この奇蹟から、3つのポイントを見ていきましょう
 
湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。(27節)
ペテロは漁師でした。
漁師であるペテロに対して、イエスさまは魚を釣るという最も手馴れた方法を提示したのです。
イエスさまは、その人の個性を尊重する方です。
その人らしさ、あなたらしさを否定する神様ではありません。
むしろ、それを活かし、用いる神様なのです。
 
その口をあけるとスタテル一枚(1シェケル)が見つかるから、(27節)
お金を直接釣り上げるという奇蹟も、イエスさまにとっては、たやすいことだったはずです。
しかし、イエスさまはあえて魚の口から貨幣を出したのです。
この光景を想像してください。
とてもユーモラスな光景ではありませんか。
きっと、イエスさまはペテロに微笑みながら語っていたことでしょう。
イエスさまは、人生にユーモアを与えてくれる方です。
堅苦しくって、いかめしい、宗教的神様ではありません。
 
それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。(27節)
納入金は、イエスさまの分だけでなく、ペテロの分も用意されていました。
イエスさまは、自分の利益のためだけに人を使うような方ではありません。
奴隷を道具のようにこき使う、愛なき主人とは違うのです。
ペテロも、イエスさまの奇蹟を通して神様の王子の特権を得ました。
そして、愛の確信をも得たのです。
 
そして、イエスさまの奇蹟は、ペテロだけ起こるわけではありません。
このときだけ起こるわけでもありません。
イエスさまはあなたの人生にも奇蹟を起こそうとしています。
あなたらしさを活かし、ユーモアあふれ、愛の確信を与える奇蹟です。
そう、それは、あなたに一番必要な奇蹟です。
 
 
イエスさまは、あなたらしさを尊重します。
あなたらしさを活かすのです。
イエスさまは、あなたの人生にユーモアを与えます。
イキイキとした、イエスさまとともに歩む人生を与えるのです。
イエスさまは、あなたに愛の確信を与えます。
あなたにしかできない奇蹟が、いま、あなたの前にあります。
 
あなたのためにお祈りしています。



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