48   ステパノ (話そう41 2006.08.26第一礼拝)
イエスさまと話そう41
『ステパノ--最初の殉教者--』 使徒 7:54-8:1
 
ステパノは、12使徒を助け、彼らに働きを十分させるために選ばれた7人のうちの1人です。(使徒6:1-6)
弟子が増えて、ヘブル語を話すユダヤ人クリスチャンとギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャンとの対立(相互不理解)がおこりました。
それで、特に食料のことについての調整役として、7人が選ばれたのです。
7人の名前は、ステパノ・ピリポ・プロコロ・ニカノル・テモン・パルメナ・アンテオケの改宗者ニコラオです。
 
ステパノは、ユダヤ人のニセの証言で、議会で裁判に掛けられることになりました。
動機は、「ねたみ」です。
そこでステパノは、使徒行伝中最も長い説教をすることになります。(使徒7:2-52)
その内容は、歴史の中に、人間の愚かさ・醜さと、神様の愛と赦しをあらわした説教です。
これは決して、そこにいるユダヤ人たち(その祖先を含めて)を責めている説教ではありません。
もしそうなら、ユダヤ人であるステパノは、自分自身を責めている説教を展開していることになります。
 
ステパノの説教の中心は、「自分自身の醜さの中・弱さの中に、イエスさまを受け入れることの要求」です。
弱さを責めているのではなく、そこに注がれる神様の愛を受けなさいというメッセージなのです。
ステパノは、神様の愛と赦しを、しっかりと見据えて説教していたのです。
「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」(56節)
 
ステパノの説教を聞いて、ユダヤ人たちは激しい反応を起こします。
人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。(54節)
人は、心の傷に触れられると過剰に反応するのです。
 
長男のはれるが、ブラジルに来て幼稚園に入ったときのことです。
砂場で遊んでいる様子をのぞくと、彼は一人ぼっちで砂で遊んでいました。
他の子どもは複数でグループで遊んでいるのに、彼だけ一人なのです。
それで、私はとても悲しく、さびしい気持ちになりました。
それで、はれるが帰ってきたら、みんなと一緒に砂場で遊ぶように言おうと思っていました。
そのことを妻に告げると、彼女はそれほど心配していないのです。
 
それで、私は自分の心をよく観察することにしました。
ゆっくり考えてみると、幼稚園の頃の私は、引越しのためか、性格のためか、一人で砂場で遊んでいたことに気がついたのです。
そのときのさびしさや悲しさが、はれるの姿から引き出されたのです。
そして、無意識にはれるを責めようとしていたのです。
私の心の傷が、はれるに心の傷を負わせてしまうところでした。
 
私は、幼稚園時代の私の過去に、イエスさまを探しました。
探したというより、お迎えしたのです。
すると、確かにそのとき、イエスさまは私のそばにいました。
私は一人ではなかったのです。
そして、そのさびしかった時間も、今の自分をつくるのに必要な時間だったと気がついたのです。
そのとき、私の心の傷は癒されました。
 
心の傷にイエスさまをお迎えしましょう。
傷つけられた時間・場所に、イエスさまをお迎えするのです。
ステパノが、歴史の中に神様の愛を注いだように、です。
もし、それができなければ、自分で自分を責め続けるしかなくなります。
自分自身の責める声を聞きたくなかったから、ユダヤ人たちは次のようにしたのです。
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。(57節)
そして、ステパノはキリスト教最初の殉教者となりました。
 
キリスト者(クリスチャン)は、キリストに倣(なら)う者といわれます。
しかし、どうしたらそんなことができるのでしょうか?
はたして、可能なのでしょうか?
ステパノは、石打たれながら2つの言葉を残しています。
「主イエスよ。私の霊をお受けください。」(59節)
「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」(60節)
 
また、イエスさまは十字架上で7つの言葉を残しました。
そのうちの2つです。
「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」(ルカ23:46)
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)
まさに、彼はキリストに倣う者として死んでいったのです。
 
その秘訣は、何だったのでしょうか。
聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て(55節)
それは、神様を認め、見つめ、神様とともに生きることです。
そのとき、私たちは神様の愛を反射して示すことができるのです。
苦行や修行、また特別な才能ではありません。
神様からの一方的な愛のプレゼントです。
神様の愛の光に照らされて、満たされて、光り輝いて生きていきましょう。
 
 
あなたの現在の痛みに、イエスさまを迎えましょう。
あなたの過去の傷に、イエスさまを迎えましょう。
あなたの未来の不安に、イエスさまを迎えましょう。
イエスさまの十字架の愛は、神様からの愛と赦しの決定的な証拠です。
あなたの人生を導く、愛のエネルギーです。
 
あなたのためにお祈りしています。



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