イエスさまと話そう42 
『サウロ』 使徒 9:1-9 
  
自分を変えたい。 
内面を変えたい。 
生き方を変えたい。 
これは、私たちの多くが望むことではないでしょうか。 
  
私たちは神様に造られました。 
そして、唯一、神様の息(霊)を吹き込まれた生き物なのです。 
ですから、神様を思うことができます。 
しかし、罪に堕ちてしまった私たちは不完全です。 
不完全な人間が完全な神様を思うことができるから、また、罪に汚れた私たちがまったく聖い神様を思うことができるから、私たちは変わりたいのではないでしょうか。 
でも、私たちは自分の努力では、なかなか変わることができません。 
それで、周りの人を変えようとしてしまいます。 
周りの人を裁き、人間関係を壊してしまうのです。 
  
サウロは、タルソ生まれのユダヤ人で、パリサイ人でした。 
ガマリエル(1世紀最大のラビ)に学び、議会での議決権を持っていたようです。 
キリスト教の迫害者でしたが、他の多くの迫害者のような政治的なねたみではなく、心から迫害していました。 
  
エルサレムからダマスコまでの道のりは約100キロです。 
ダマスコにいるクリスチャンを捕まえるために、サウロは出かけていったのです。 
そのとき、天からの光に照らされて、サウロは回心するのです。 
  
光は、レントゲン撮影やCTスキャンのように、サウロの中身を透かしだしました。 
徹底的な聖さの中で、サウロは自分自身の醜さと対面せざるを得ませんでした。 
他の人と比較して、自分自身を正当化する方法もあり得ました。 
「一緒にいるあいつらは、もっと醜くて・・・」 
「彼らこそ先に・・・・・」 
立派なエリートユダヤ人のサウロなら、いくらでも抜け道はあったはずです。 
  
しかし、神様の愛は、パウロの目を閉じました。 
周りの人を見つめることができなくなるように。 
目の見えない3日間、それは、サウロが自分自身を見つめる時間でした。 
自分自身の醜さ・弱さ、そして、神様の愛、イエス・キリスト。 
そして、ここから新しい使徒、パウロが誕生するのです。 
  
サウロは望まずに(無意識に求めていたかも知れませんが)、神様の計画の中で変えられたのです。 
  
サウロだけでなく、私たちも変われます。 
神様に変えてもらえるのです。 
もう、周りの人のせいにする必要はありません。 
自分自身の醜さに、しっかりと対面しましょう。 
変えられない自分の弱さに直面しましょう。 
そこに、イエスさまの介入を求めるのです。 
そして、「○○さんを変えてください」ではなく「私を変えてください」と、祈り求めましょう。 
友人や家族を責める人生から脱出するのです。 
イエスさまの愛の光は、あなたの人生を変えます。 
私たちは変われるのです。 
  
イエスさまは、人生を変えるだけではありません。 
「立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(6節) 
そう、イエスさまの愛は、あなたに使命を与えるのです。 
生きる目的、生きる意味を与えてくれるのです。 
  
イエスさまの光に照らされて、愛の中で生きていきましょう。 
あなたならではの生きる意味の中で、イキイキと生かされて。 
  
あなたのためにお祈りしています。 
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