5   山上の説教 (メッセンジャー10 2006.01.28)
シリーズ メッセンジャーはイエスさま 10
『山上の説教』 マタイ 5:1-12
 
マタイによる福音書第5・6・7章は、「山上の説教」と言われている箇所です。
これから、「メッセンジャーはイエスさま」では、山上の説教を順に開いていきたいと思いますが、今週はそのイントロダクションです。
 
山上の説教の内容をお読みいただくと、そこに書いてある事柄は、「逆説的な事柄」と「高度な倫理基準」といえましょう。
逆説的な事柄としては、今週の箇所にもあるように、「悲しむ人は幸いです」などがあり、高度な倫理基準としては、「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。(5:29) 」などがあげられます。
そうすると、山上の説教は、「それまでの常識を外れ、理論的とも言いにくく、受け入れがたく、到達不可能な教え」ということになります。
 
この説教が成立するためには、一つの条件が必要になってくるのです。
それは、イエス・キリスト。
メッセンジャーがイエスさまであるということなのです。
 
イエスさまは地上に降り立った神様のひとり子です。
それまでの常識では、「神様は遠い天にいて、人間が良い行いをして聖くなって登って来るのを待っている」状態だったのです。
もし、神様が来られたとしても、信仰的に素晴らしい人とか、みんなから立派といわれている人のところに来るはずだと考えられていました。
現代でも、そのように神様をとらえている人は少なくないでしょう。
しかし、イエスさまはそうではなかったのです。
イエスさまは、しいたげられている人のところへ、悲しんでいる人のところへ来たのです。
 
また、イエスさまは十字架で死にました。
罪のないイエスさまが、罪ある者の身代わりとして自ら死を選んだのです。
そこには、愛せない者(愛される資格のない者)を愛する愛があります。
赦せない者(赦される価値のない者)を赦す愛があります。
 
私たちの常識を超えた愛が到来したのです。
それが、イエス・キリスト。
このイエスさまを前提にするなら、イエスさまを受け入れるなら、山上の説教は逆説的ではなく「あたり前の説教」なのです。
 
山上の説教の主題は、「イエス・キリストとの出会い」です。
これからの山上の説教の中で、イエスさまと出会ってまいりましょう。
 
あなたの弱さの中に、イエスさまをお迎えしましょう。
あなたの悲しみの中に、イエスさまをお迎えしましょう。
あなたの怒りの中に、イエスさまをお迎えしましょう。
イエスさまは、あなたに光をプレゼントしてくださいます。
喜びの光、希望の光、慰めの光、赦しの光、愛の光を。
あなたの中に、光をともしましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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