51   詩篇 第47篇 (詩篇に楽しもう05 2006.09.09第一礼拝)
詩篇に楽しもう 05
『詩篇 第47篇』 詩篇 第47篇
 
この詩篇の主題は、「神様をほめたたえよ」です。
ヒゼキヤの時代に、エルサレムを攻めたアッシリヤ軍を、奇蹟を起こして退けた神様をたたえるのが主題です。
(参照:U列王記18:13-)
 
ところで、詩篇に楽しもうの第5回目にして、見慣れない言葉が出てきました。
それは4節の末尾にある「セラ」です。
ちょっと気になりますから、新聖書辞典の記述で説明します。
 
セラ(〈ヘ〉selah)
詩篇中に71回見られるこのことばについては、多くの研究がなされているにもかかわらず、いまだに確証されていない。
語源的には「上げる」という意味があるので、声を休めて楽器の演奏を強める、つまり間奏の入るところであろうとする説と、伴奏旋律の変化、または音楽的休止を示したものとの2説がある。
・・・(中略)・・・
このことばがこのようになぞめいているのは、宗教儀式に携わるレビ人音楽家各派のグループが、お互いに自分の職業的秘密を執拗に守り通すための「通語」(暗号)として用いたためではなかったかとも言われている。(新聖書辞典より引用)
 
つまり、よくわからないということです。
これからもこのシリーズで時々登場するでしょうが、あまり気にせずに進めていきましょう。
 
本題に戻ります。
この詩篇は、神様をほめたたえることを命じています。
手をたたけ。 喜びの声を上げて神に叫べ。(1節)
しかし、それは義務ではありません。
大いなる方だから、その力が怖いから(つまり、ばちが当たらないように)ほめているのではないのです。
手をたたくという表現は、喜びを表しているのです。
動機は、「喜び」です。
喜びのあまり、ほめたたえてしまうのです。
 
確かに、エルサレムの人々は喜べるでしょう。
自分たちを滅ぼしに来た18万5千人の敵の軍隊が一夜にして全滅ですから、喜ばないほうがおかしいです。
しかし、神様はイスラエルだけの神様ではありません。
だから、すべての人が喜んでいいのです。
全地の大いなる王。(2節)
まことに神は全地の王。(7節)
神は国々を統べ治めておられる。(8節)
神様は、すべての国の神様であり、すべての人の神様なのです。
 
国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた。(9節)
すべての国が、神様の祝福を受けるときが来ました。
神様がアブラハムと交わした契約はこうです。
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)
アブラハムの子孫として生まれたイエス・キリストによって、この祝福は完成しました。
すべての人が、十字架の救いによって、神様の子とされるときが来たのです。
 
人種・性別・年齢・職業などに関係なく、すべての人が救われます。
この宇宙のどこにいようが、どんな時代にいようがです。
神様は宇宙すべてを造りました。
神様は時間をも造りました。
神様のこの祝福は、空間や時間の制約を受けないのです。
この祝福は、あなたのための祝福です
 
あなたは、この祝福を、喜んで受けていいのです。
手を打ちたたいて、喜んでいいのです。
申し訳なさそうにする必要はありません。
神様の祝福を受け、神様の子として、堂々とイキイキと生き、喜び、賛美しましょう。
 
 
神様の祝福は、あなたから離れることがありません。
あなたが誰でも、どんな人でも。
どこにいても、どんなときでも。
神様は全地の王、永遠の王です。
イエスさまの十字架の愛は、あなたを決して見捨てません。
場所を越えて、時間を超えて、あなたを愛します。
手をたたき、喜び、賛美しましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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