詩篇に楽しもう 05 
『詩篇 第47篇』 詩篇 第47篇 
  
この詩篇の主題は、「神様をほめたたえよ」です。 
ヒゼキヤの時代に、エルサレムを攻めたアッシリヤ軍を、奇蹟を起こして退けた神様をたたえるのが主題です。 
(参照:U列王記18:13-) 
  
ところで、詩篇に楽しもうの第5回目にして、見慣れない言葉が出てきました。 
それは4節の末尾にある「セラ」です。 
ちょっと気になりますから、新聖書辞典の記述で説明します。 
  
セラ(〈ヘ〉selah) 
詩篇中に71回見られるこのことばについては、多くの研究がなされているにもかかわらず、いまだに確証されていない。 
語源的には「上げる」という意味があるので、声を休めて楽器の演奏を強める、つまり間奏の入るところであろうとする説と、伴奏旋律の変化、または音楽的休止を示したものとの2説がある。 
・・・(中略)・・・ 
このことばがこのようになぞめいているのは、宗教儀式に携わるレビ人音楽家各派のグループが、お互いに自分の職業的秘密を執拗に守り通すための「通語」(暗号)として用いたためではなかったかとも言われている。(新聖書辞典より引用) 
  
つまり、よくわからないということです。 
これからもこのシリーズで時々登場するでしょうが、あまり気にせずに進めていきましょう。 
  
本題に戻ります。 
この詩篇は、神様をほめたたえることを命じています。 
手をたたけ。 喜びの声を上げて神に叫べ。(1節) 
しかし、それは義務ではありません。 
大いなる方だから、その力が怖いから(つまり、ばちが当たらないように)ほめているのではないのです。 
手をたたくという表現は、喜びを表しているのです。 
動機は、「喜び」です。 
喜びのあまり、ほめたたえてしまうのです。 
  
確かに、エルサレムの人々は喜べるでしょう。 
自分たちを滅ぼしに来た18万5千人の敵の軍隊が一夜にして全滅ですから、喜ばないほうがおかしいです。 
しかし、神様はイスラエルだけの神様ではありません。 
だから、すべての人が喜んでいいのです。 
全地の大いなる王。(2節) 
まことに神は全地の王。(7節) 
神は国々を統べ治めておられる。(8節) 
神様は、すべての国の神様であり、すべての人の神様なのです。 
  
国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた。(9節) 
すべての国が、神様の祝福を受けるときが来ました。 
神様がアブラハムと交わした契約はこうです。 
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。 
地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3) 
アブラハムの子孫として生まれたイエス・キリストによって、この祝福は完成しました。 
すべての人が、十字架の救いによって、神様の子とされるときが来たのです。 
  
人種・性別・年齢・職業などに関係なく、すべての人が救われます。 
この宇宙のどこにいようが、どんな時代にいようがです。 
神様は宇宙すべてを造りました。 
神様は時間をも造りました。 
神様のこの祝福は、空間や時間の制約を受けないのです。 
この祝福は、あなたのための祝福です 
  
あなたは、この祝福を、喜んで受けていいのです。 
手を打ちたたいて、喜んでいいのです。 
申し訳なさそうにする必要はありません。 
神様の祝福を受け、神様の子として、堂々とイキイキと生き、喜び、賛美しましょう。 
  
  
神様の祝福は、あなたから離れることがありません。 
あなたが誰でも、どんな人でも。 
どこにいても、どんなときでも。 
神様は全地の王、永遠の王です。 
イエスさまの十字架の愛は、あなたを決して見捨てません。 
場所を越えて、時間を超えて、あなたを愛します。 
手をたたき、喜び、賛美しましょう。 
  
あなたのためにお祈りしています。 
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