52   最初の弟子たち (話そう43 2006.09.09第二礼拝)
イエスさまと話そう43
『最初の弟子たち』 ヨハネ 1:35-40
 
35節に出てくるヨハネは、ヨハネの福音書の筆者のヨハネではなく、バプテスマのヨハネと呼ばれているヨハネです。
聖書カルタでは、「洗礼を川で授けるヨハネさん」と書かれています。
彼は、悔い改めのバプテスマを授けていました。
彼のもとには、たくさんの群衆が来て、洗礼を受けました。
その群衆の中には、ヨハネに対して、救い主としての期待感もあったようです。
しかし彼は、自分を、後から来られる方(イエスさま)の道備えをする先駆者にすぎないと断言します。
 
ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。
その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」(ヨハネ1:26-27)
 
彼はイエスさまを見ると、「見よ、神の小羊。」(36節)と称しました。
これは、救い主(キリスト)であるということを意味しています。
それまでの預言者は、キリストを預言していました。
そしてヨハネは、直接にキリスト示した最後の預言者だったのです。
 
ヨハネにキリストの期待感を持っていた群集は、ヨハネがキリストでないことを知れば去っていきます。
しかし彼は躊躇せずに、嫉妬せずに、キリストを指し示したのです。
自分に栄誉を求めず、キリストを指し示す姿がここにあります。
これは、教会や牧師・伝道者の本来あるべき姿でしょう。
神様・イエスさま以上に、教会や牧師が目立つようではいけません。
 
バプテスマのヨハネの言葉で、ふたりの弟子はついて行きました。
たぶん、控えめについて行ったことでしょう。
しかし、本当のイエスさまとの始まりはここからです。
 
イエスは振り向いて、・・・言われた。(38節)
私たち人間と神様とのコンタクトは、いつも、神様が先です。
私たちが神様を選ぶよりも、神様が私たちを招く方が先なのです。
また、愛するのも神様が先です。
そして、神様は私たちを迷いの中に捨ておくことはないのです。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネ15:16)
 
「あなたがたは何を求めているのですか。」(38節)
これは、「さあ、私と語ろう」という呼びかけです。
「あなたは誰だ?」と、すぐに答えられる質問をしたわけではないのです。
求めているものについて、じっくり話し合おうという呼びかけなのです。
そしてこれは、何でも話していいという、愛と受容の宣言です。
イエスさまは、従うかどうか逡巡している私たちに、愛の呼びかけをしてくれるのです。
いえ、逡巡すらしていない私たちにまで、愛の呼びかけをしてくれるのです。
 
「来なさい。そうすればわかります。」(39節)
私たちに必要なのは、修行や自己鍛錬ではありません。
そんなことしなくても、わかるのです。
なぜなら、示してくれる神様がいるからです。
一緒にいてくれる神様がいるからです。
 
そして、ふたりの弟子たちの目が開けました。
 
時は十時ごろであった。(39節)
彼らにとって、イエスさまとの人格的出会いの瞬間です。
大いなる記念のときです。
人生の大きな転換点です。
 
なぜ、筆者は時刻まで、こんなにきちんと記述できるのでしょうか?
それは、ふたりの弟子のうち、ひとりが筆者ヨハネ本人だったからです。
ヨハネの福音書が書かれたのは、イエスさまがなくなってずっと後、ヨハネの晩年です。
しかし、ヨハネには忘れることのできない、人生の大きな大きなポイントだったのです。
イエスさまとの人格的な出会い、それは、人生最大の転換点です。
 
 
あなたにもイエスさまは呼びかけています。
記念のとき、人生の一大転換期は、もう、準備されているのです。
あなたにも、私にも、それぞれ最善のタイミングでそれは起こります。
それは、この世の人生の終わりに、記念として思い出せる出会いです。
「時は・・・であった。」
この素敵な出会いのときを、希望を持って待ちましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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