54   祭司長たちの相談 (2006.09.23第一礼拝)
より自由になるために
『祭司長たちの相談』 ヨハネ 12:9-11
 
今週の聖書箇所は、イエスさまの最後のイスラエル入城直前の話です。
この箇所の前の第11章で、ラザロをよみがえらせたイエスさまの人気は急上昇しました。
民衆の熱気は上がる一方です。
それで、祭司たちは、イエスさまを殺す計画を立てました。
これは、ある意味必然と言ってもいいことです。
 
当時、祭司はすべてサドカイ人と呼ばれる人々でした。
サドカイ人たちは、裕福な階級に属していて、ローマ政府に協力して、自分たちの政治的地位を保っていました。
しかし、もしもイエスさまを中心にして暴動が起こったなら、彼らは即座にその政治的地位を失うことになるのです。
民衆のイエスさまに対する期待が、これ以上大きくなることは、彼らにとってとても好ましくないことだったのです。
そこで彼らは、自分たちの政治的地位・社会的地位を守るために、イエスさまを殺す計画を立てたのです。
 
しかし、彼らはラザロまで殺そうとしました。(10節)
なぜ彼らはそこまでしようとしたのでしょうか。
それは、サドカイ人(つまり祭司たち)は、「死人の復活はない」と主張していたからです。
ところが、ラザロというよみがえった証拠をつきつけられたのです。
これでは、彼らの宗教的権威が崩壊(失墜)してしまいます。
そこで、彼らは、復活の証拠であるラザロを亡きものにしようと計画したのです。
証拠さえなくしてしまえば、後は何とでもなると考えたのです。
 
彼らは、社会的保身のために、イエスさまを殺す計画を立てました。
宗教的保身のために、ラザロを殺す計画を立てました。
現実・真実よりも、自分たちの利益を守ることを優先してしまったのです。
 
ラザロのよみがえりには、大きな神様の愛がはっきりとあらわれています。
まず、ラザロをよみがえらせた神様は、いのちあふれる神様ということです。
いのちがあふれているからこそ、ラザロをよみがえらせることができたのです。
また、死ですべてが終わらない、死後のいのちに希望があるという証拠です。
死んだ後も、神様の愛は私たちから離れず、永遠の愛で愛されるという約束です。
いのちあふれ、愛あふれる神様が、私たちの神様なのです。
私たちには永遠の喜びが約束されているのです。
 
しかし、彼らは、こんなにはっきりとした神様の愛を見ませんでした。
目をそらしたのです。
目をつぶったのです。
その結果、彼らは永遠の喜びを失うことになりました。
 
そして、これは現代も同じことです。
科学的法則や社会的常識は必要ですが、それに必要以上に縛られると、神様の力を見逃すことになります。
神様は、科学以上の方です。
神様は、社会常識以上の方です。
神様は私たちの作ったルールの下にはいません。
すべてを造った創造主なる神様は、すべてのルールの上にいるのです。
 
あなたのルールに縛られて、あなたに注がれている神様の愛を見逃さないようにしましょう。
「たまたま・・・」と、通り過ぎないようにしましょう。
「ありえない」と、目をつぶらないようにしましょう。
神様の愛を、あなたの存在すべてで受け止めましょう。
 
神様は、完全に自由な方なのです。
自由にあなたを愛し、自由にあなたを祝福する方です。
イエスさまの十字架によって、あなたはその祝福の受け手(神様の子ども)になりました。
あなたの手で、あなた自身を束縛するのはやめましょう。
すべての束縛から、あなたは自由なのです。
無限の愛、完全に自由な愛が、今、あなたに注がれています。
 
あなたのためにお祈りしています。



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