より自由になるために 
『祭司長たちの相談』 ヨハネ 12:9-11 
  
今週の聖書箇所は、イエスさまの最後のイスラエル入城直前の話です。 
この箇所の前の第11章で、ラザロをよみがえらせたイエスさまの人気は急上昇しました。 
民衆の熱気は上がる一方です。 
それで、祭司たちは、イエスさまを殺す計画を立てました。 
これは、ある意味必然と言ってもいいことです。 
  
当時、祭司はすべてサドカイ人と呼ばれる人々でした。 
サドカイ人たちは、裕福な階級に属していて、ローマ政府に協力して、自分たちの政治的地位を保っていました。 
しかし、もしもイエスさまを中心にして暴動が起こったなら、彼らは即座にその政治的地位を失うことになるのです。 
民衆のイエスさまに対する期待が、これ以上大きくなることは、彼らにとってとても好ましくないことだったのです。 
そこで彼らは、自分たちの政治的地位・社会的地位を守るために、イエスさまを殺す計画を立てたのです。 
  
しかし、彼らはラザロまで殺そうとしました。(10節) 
なぜ彼らはそこまでしようとしたのでしょうか。 
それは、サドカイ人(つまり祭司たち)は、「死人の復活はない」と主張していたからです。 
ところが、ラザロというよみがえった証拠をつきつけられたのです。 
これでは、彼らの宗教的権威が崩壊(失墜)してしまいます。 
そこで、彼らは、復活の証拠であるラザロを亡きものにしようと計画したのです。 
証拠さえなくしてしまえば、後は何とでもなると考えたのです。 
  
彼らは、社会的保身のために、イエスさまを殺す計画を立てました。 
宗教的保身のために、ラザロを殺す計画を立てました。 
現実・真実よりも、自分たちの利益を守ることを優先してしまったのです。 
  
ラザロのよみがえりには、大きな神様の愛がはっきりとあらわれています。 
まず、ラザロをよみがえらせた神様は、いのちあふれる神様ということです。 
いのちがあふれているからこそ、ラザロをよみがえらせることができたのです。 
また、死ですべてが終わらない、死後のいのちに希望があるという証拠です。 
死んだ後も、神様の愛は私たちから離れず、永遠の愛で愛されるという約束です。 
いのちあふれ、愛あふれる神様が、私たちの神様なのです。 
私たちには永遠の喜びが約束されているのです。 
  
しかし、彼らは、こんなにはっきりとした神様の愛を見ませんでした。 
目をそらしたのです。 
目をつぶったのです。 
その結果、彼らは永遠の喜びを失うことになりました。 
  
そして、これは現代も同じことです。 
科学的法則や社会的常識は必要ですが、それに必要以上に縛られると、神様の力を見逃すことになります。 
神様は、科学以上の方です。 
神様は、社会常識以上の方です。 
神様は私たちの作ったルールの下にはいません。 
すべてを造った創造主なる神様は、すべてのルールの上にいるのです。 
  
あなたのルールに縛られて、あなたに注がれている神様の愛を見逃さないようにしましょう。 
「たまたま・・・」と、通り過ぎないようにしましょう。 
「ありえない」と、目をつぶらないようにしましょう。 
神様の愛を、あなたの存在すべてで受け止めましょう。 
  
神様は、完全に自由な方なのです。 
自由にあなたを愛し、自由にあなたを祝福する方です。 
イエスさまの十字架によって、あなたはその祝福の受け手(神様の子ども)になりました。 
あなたの手で、あなた自身を束縛するのはやめましょう。 
すべての束縛から、あなたは自由なのです。 
無限の愛、完全に自由な愛が、今、あなたに注がれています。 
  
あなたのためにお祈りしています。 
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