55   詩篇 第121篇 (詩篇に楽しもう07 2006.09.23第二礼拝)
詩篇に楽しもう 07
『詩篇第121篇』 詩篇第121篇
 
詩篇の第120篇から第134篇までは、都上りの歌と書かれています。
都とは、エルサレムのことです。
ですから、都上りの歌とは、「三大祭(過越の祭、七週の祭、仮庵の祭)の時にエルサレムに上る巡礼の歌」と考えられています。
そうすれば、1節の「山に向かって目を上げる」の山とは、シオンの山・イスラエルの丘をさすものでしょう。
 
以上のことを考えると、エルサレムへ上る旅の最終盤、シオンの山々を見上げての詩ということになります。
エルサレムへ上る期待感、神様の家(神殿)に上る希望あふれる詩篇です。
 
我が家の長男のはれると次男のタリタは、毎晩1匹ずつぬいぐるみを持って寝ます。
ぬいぐるみがないと眠れないのです。
ある晩のこと、はれるが夜中に、とても厳しい顔で僕に迫ってきました。
「パパ!、バーニー(ぬいぐるみの名前)どこやった!」
その言葉には、怒気がこもっていました。
普段、ノホホンとしているはれるとは思えないほどの迫力でした。
バーニーは布団の中に紛れ込んでいるのを発見され、はれるは再び寝ました。
 
ぬいぐるみ、それは、夜中にいつ目を覚ましても、目を開けていて、はれるやタリタを見つめていてくれる存在です。
彼らには、安眠するために、守られているという安心感が必要なのです。
 
そして、その安心感は、この詩篇にも歌われています。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。(3-4節)
ぬいぐるみは生きてはいません。
ですから、本当の意味で見守っているわけではありません。
しかし、神様は生きています。
そしてまどろむことなく、眠ることなく、私たちを守ってくれているのです。
神様の愛は24時間営業、年中無休なのです。
人間では到底こうは行きません。
 
はれるやタリタが、深夜に熱が出て苦しんでいるときのことです。
薬を飲ませたあと、「朝までちゃんと抱いていてあげるから、安心して寝なさい」と言って、ひざの上で抱くことがあります。
しかし、「朝まで起きてるぞ」という決意とは裏腹に、夜が更けるにつれ、つい、うとうとしてしまいます。
しまいには、座りながら抱いているのですが、抱きながら熟睡してしまうのです。
神様の守りに比べて、なんと頼りない父親の愛なのでしょうか。
神様の愛の大きさに恐れおののくばかりです。
 
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。(6節)
灼熱の太陽の光は、私たちの肉体に容赦ない攻撃を仕掛けます。
また、月は人の気を狂わせると言われていました。
ですから、月の光は、私たちの精神への容赦ない攻撃です。
神様の守りは、この肉体的な攻撃からも、精神的な攻撃からも私たちを守るのです。
24時間営業の神様の愛は、すべての攻撃から私たちを守ってくれるのです。
 
一切の不安は、神様の臨在によって打ち勝てます。
全知全能の神様の、大きな愛を受けて、恐れをこえて歩みだしましょう。
神様は、常にあなたのために、見張り、守ってくれています。
この事実を受け入れましょう。
この事実が、あなたの心の奥深くに根を下ろすようになったとき、あなたの人生が変わります。
神様の守りの中で、神様の子どもとして、イキイキと生きていくことができるのです。
 
神様から来る、本当の安心をつかむために、いま握っている、不確かな安心を捨てましょう。
それは、あきらめによる放棄ではありません。
希望の獲得による、むなしいものの破棄なのです。
 
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。(7-8節)
 
とこしえの愛の守りの中で、今、目をあげて歩みだしましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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